Meta-Perception

主観至上主義の時代をメタに考える

起業家とは何なのか

たくさんのアクシデントが重なり、私自身は起業家という生き方を選択したわけであるが、この生き方が何なのだろうか。

好きなように好きなことをやろうとしているという意味では、ファームに居た時ともあまり感覚的には変わらないが、組織の決まりごとや柵が少ないのは大きな違いだろうか。

QOLに関する議論でも書いたのだが、QOLを高める、生きるとは、Self(自分自身)の理解度とField(実践領域、世の中)の掛け合わせなので、実践と思考を通じてこの2つの理解度を高め、落とし所を見つけ続けるプロセスなのであろうと思っている。

私にとってのFieldは、Theme:教育・人材、Role:起業家・経営者、Relationships:私の会社、投資家、取引先…etcということになるだろうか。

今回はFieldの解像度を上げたいと思い、Roleについて書こうと思う。

新結合を社会に織り込む

この複雑性と不確実性に満ちた世界において、唯一確かなことがあるとしたら、確かなことなど存在しないという事ではないだろうか。 普遍的、恒常的なものなど存在せず、あらゆるものは変化し続ける。

熱力学におけるエントロピー増大の法則は、あらゆるところでやっぱり当てはまると思われる。 あらゆるものは変化し続ける性質を備えており、最終的には秩序だった状態から無秩序になっていく性質を備えている。

何であれ、現状を維持しようとするとそれなりの力を要求する。 維持しようとするものが複雑で長大なものであれば有るほど、なおさらである。

この資本主義、自由主義現代社会のシステムも、放っておくと崩壊に向かっていく。 だから人類は維持するために膨大なエネルギーを投下し続けているわけである。

しかし複雑怪奇なこのシステムを維持しようとしても、どうしても大きな変曲点が出現する。 いわゆるブラックスワンというやつだ。

更にスケーリングの問題があるため、システムの構成要素が増えるほど乗数的に不確実性が増していき、ブラック・スワンが出現する確率が高まる。 そして、変化を押し止める事は長期的には不可能であり、最終的には徒労に終わる。

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

重厚長大で複雑怪奇なシステムを維持し続けるコストが膨大であるならば、合理的には変化と無秩序と不確実性を前提として、タレブの言う反脆さを持った社会が、長期的に人類の生存と幸福を実現する確率が高まるのではないだろうか。

反脆さをもち、不確実性を活用し、より良い、社会が豊かになる新しい秩序を作り出し続ける以外に、豊かな社会を維持し幸福な人生を確率高く歩む方法は存在しないのではないか。 要は永遠にβ版、常にアップデートし続けるということだ。 万物流転。

つまり、不確実性と変化を前提として世の中を見るべきだということだ。

何を、どのように変化させるのか

維持ではなく変化を前提として考えた際、何をどのように変化させていく事が良いのかというイシューが非常に重要になる。

既得権益の維持ではなくより平等で公平な新しい枠組みを作る、社会の変化に応じて重要度が増すようなサービス、プロダクトを創造して人々の思考行動様式を変えていく、といった話だ。

何を持って善とするかは、QOLに関する議論で触れたが、非常に難しい。 人間の幸福を善とすれば、突き詰めればアルゴリズムに過ぎない人間を外的にHackし、常に脳が幸福に感じる状態を維持するのが膳なのだろうか?それは幸福なのか?幸福とは何なのか? そもそも、テクノロジーが人間をHackできるなら、人間至上主義の現代のイデオロギーが前提から崩壊するのではないか? 誰にも答える事はできないし、普遍的な答えはないのかもしれない。

何がうまくいくのか、何が社会を前進させるのか(何が善なのか)、何が悪影響をもたらすのかは究極的に後知恵でしか判断できず、やってみるまでわからない。 誰かが身銭を切ってリスクを犯してチャレンジし、世に問うまでわからない。

しかも問い方や時代背景によって同じものでも全く違う帰結をもたらすだろう。 聖書の時代にコペルニクスは受け入れられなかった。 今の時代では例えばバイオテックによるデザイナーベビーは倫理的には受け入れられては居ないが将来はわからない。

しかしこの不確実性の高い行動を誰かが起こしていかないと社会が前進することはなく、どんどん無秩序なバッドシナリオに向かって突き進んでいく事になるだろうか。 環境破壊や搾取され続ける労働者、短期的に私腹を肥やし続けるが将来への負債を溜め込んでいく既得権益の享受者、その構造的暴力の犠牲者の増加といった具合に。

変化は辺境のR&Dから起こる

善の議論はおいておき、放っておくと社会というシステムは崩壊していくとしよう。 これは少なくとも短期的には多数の犠牲者を出す。

システム体制側の人間たちは、システムを維持し続けるインセンティブが強く働く。 そうするとシステムの崩壊を押し留めようとして活動する事になり、不確実性を排除しようとして行動する。 するとタレブが言うように、システムは逆説的に脆くなり、ブラック・スワンが起こった時に多大な犠牲を出し、下手をすると社会が退化する。

その文脈で考えると、政治家や官僚や大企業は今の既得権益を維持する方向にバイアスが傾きやすく、変化を起こす役割としては不足しすぎる。 既得権益を享受しやすいその次代のエリート階層から革命が起こったケースは歴史的にも少ないのではないだろうか。というかないのでは?

本当の変化をもたらす活動(ここではR&Dと呼ぼう)は常に辺境で発生すると考えられる。

もしかすると、起業家は社会全体の中のR&D機能を担っていると言えるのではないか。 誰もが見落とすスペースを見つけて価値を生み出す、これまでになかったプロダクトで生活を変える、そのプロダクトの介在によってポジティブな変化を人生にもたらす事が、起業家が起こすイノベーションである。

R&Dなくして発展はありえないが、大半のR&Dの種たちは死んでいく定めにある。 自分より大きなコミュニティ、社会のために身銭を切って新しい価値を生み出す事に取り組む事こそがまさに「起業家」に求められる役割ではないだろうか。

身銭を切れ――「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質

R&Dによって生み出されたイノベーション=新結合は、社会に実装されて初めて実際的な意味を持つ。 頭の中に有るだけならそれは(本人以外に)何の意味も持たない。

概念を打ち出し、それを発表するだけでは、社会にそれが織り込まれない。 それでは変化を起こせない。

不確実性とシステム変容を前提とし、新結合を発想し、思考と行動すなわち実践を通じて社会システムに折り込み、前向きに変化を起こしていくのが起業家の役割ではないか。

何のために生きるのか?QOLとHackと幸福と。。。

人生の意味は何かという本質的な問い

私の今の職業は起業家である。 私自身は成り行きで生きていたら起業家になるようなアイデンティティの持ち主ではないのだが、様々な出来事の積み重なりでこのような職業になるに至った。

今でもなぜ起業家という、一般的にハイリスク・ハイリターンな職業に身をおいているのか考えることがよくある。 最初の仕事のコンサルタントでも、次の仕事のベンチャー投資会社でCorporate Strategyの仕事をしていた時もそうだった。 (私の所属していたベンチャー投資ファームはプリンシパルで長期的に投資先にハンズオンを行っており、自分たち自身の経営企画と投資先への経営企画支援の両文脈でCorporate Strategyというポジションだった)

それぞれの職業をやっている意味はあるのか?とよく自問していた。 すぐにそもそも「意味ってなんだろうか」という問いにぶち当たり長く答えが出なかった。 今でも出ていない。

というか一度整理できたつもりだったのに、今何がなんだかわからなくなってきている。

「なぜ自分がこの職業をやっているのか?」という問いは常に抱え続けるものなのだと思う。 随分といろいろな人とこの手の対話を繰り返しているのだが、私も含めて悩んでいる人がとても多いと感じた。

自分自身も今何がなんだかわからなくなってきたので、考えの整理をしたい。 せっかくなので、参考になった書籍の紹介とともに、私の考えと経験を書いておきたいと思う。

構造化してから書いているわけではなくつらつらと書いているので、読みにくいところはご容赦いただきたい。

多分思考が浅いところが散見されるだろうから、再構成してまた投稿するかもしれない。

今日のSummary

  • まず、「なぜ生きるのか?」「何のために生きるのか?」という問いから、QOLの最大化を幸福に生きるための目的変数として設定することから議論を開始した。
  • 次に、幸福=QOLはあくまで主観的な経験と感覚であり人それぞれ、かつ定量化できないものである。
  • その上で、人間の主観(Identity)はアルゴリズムに過ぎず、過去の反射的意思決定の総和である象が自動的に感情を湧き上がらせ、それを乗り手がもっともらしく解釈しているのであり、究極的な自由意志は存在しないのではないか。
  • しかしとはいえ、私たちが感じる感情や幸福感自体は、「主観的事実」なので、これを最大化するという立場で議論を展開してきた。
  • アルゴリズムは過去の総和であり現在に根ざすため、変化できるかは確率論となり、世の中は個人の変化よりもずっと早く変化しているので、意図的に変容し世の中に適応しないと取り残されて死ぬ確率が高まる。
  • 過去の総和であるアルゴリズムを変えるためには、外的なアプローチが今現在は難しいため、未来に向かって自分を変えようという緊張構造を作って圧力を自分に課し、自己批判的に内省するしかない。
  • 自分のアルゴリズムをHackし、SelfとFieldの折り合いをつけながら、過去の集大成であるIdentityを未来に向かって望ましいことを報酬と感じられるようにするのが現代の人生の命題ではないだろうか。

常に変化し続ける自己と社会を連続性で捉える

この問いに答えるためには2つの要素に定義を与える必要があると私は考える。

  • 要素A:「私は何者であり、何を望んでいるのか?」
  • 要素B: 「それはどのような社会的役割で実現でき、その本質はなにか?」

しかもこの2つの要素は時間の経過に伴って変質する。

「私」は時間の経過と経験と置かれている環境に伴って変化していく。
結婚したことによってもっと家庭への時間を求めるかもしれないし、もっと金銭的なリターンを重視するかもしれないし、垂直的に成長したことによってより高次のチャレンジを求めるかもしれない。
こういったその人自身がフォーカスを当てるテーマは人生の中で変化し続ける。

ちなみに日々痛感しているのだが、人間は思っているよりも自分の事を理解できていないので、これが非常に難しい。
現代社会は自由主義の文脈で記述するのが最も適切だと思うが、その自由主義の根幹にある自由意志が実は自分ではよくわからずコントロールできず、本質的に自由ではないとは何という皮肉だろうか。
このあたりは現代の知の巨人、ユヴァル・ノア・ハラリのホモデウスが非常に参考になる。
神聖視される(私もしている)自由意志とは何なのかに関しても今後議論してみたいと思う。

「職業」も非常に多くの要素によって変質する。
時代の流れによって求められる要素が変化するかもしれないし、会社のフェーズの変化に伴って変化するかもしれないし、自分自身の職業における解像度が上がったことによっても自分にとってのその職業の意味付けが変化するかもしれない。
コンサルタントと言う職業はそれが登場した時代から随分と変化しているが、私の在職中も目に見えてプロジェクトの内容やクライアントからの期待値が変化していたし、私自身がコンサルタントと言う職業への理解を深める中で、コンサルタントへの意味付けが変わり、最終的に離職している。

ちなみにここでは深く触れないが、人の成長に関しては成人発達理論という面白い学問があるので参照されたい。 こちらその大家の一人、ケン・ウィルバーの非常に興味深い書籍。 前職のベンチャー投資ファームではこの考えを援用し、起業家の精神発達を支援するという試みをかじっていたので多少の知見がある。

インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル

この要素Aと要素Bをより抽象化すると、自由主義の世界で生きる事はこんな数式で表せるのではないだろうか。

数学は小さい頃から私が最も苦手な学問の一つであり、誤りがあるかもしれないがその場合は是非指摘いただきたい。 苦手なことへの挑戦と、厳密に概念を整理して議論する上では数学的に整理するのがいいのだろうと思ったのでチャンレンジしてみた。

  • QOL = Self × Field
    • QOL: ある時点での主観的な満足度
    • Self: 私は何者か、何を成したいのか、どう生きるのか
    • Field: 自分が身をおいている場所、その場所の状況

つまり、「生きる意味を見出している」とか、「やりがいがある」とか、「何のために生きるのかの命題に対しての自分なりの考えがある」状態は、Selfの議論であり、QOLの構成要素の一つである。 しかし、人間は3Dの世の中に生きる社会動物であるので、当然Fieldとの兼ね合いの中でQOLは定義されるべきであろう。

Fieldを完全に捨象し、自分頭のの中の世界に閉じこもって入ればハッピーという人もいるかもしれないが。大半の人はそうではないだろう。

なお、QOLはあくまで主観的な満足度であるため、この2要素の掛け算の結果はその人自身の主観的な経験であることに留意されたい。 主観の意味するところは後で詳しく議論したい。

さて、この議論にはもう一つ必要な要素があるだろう。 それは認知能力である。

本末転倒かもしれないが、あくまで幸福・QOLが主観的経験であるということは、人の認知能力に制約を受けることを意味する。 Selfの理解レベルも、Fieldの理解レベルも、ともにこの制約を受けており、その中での主観的経験である。 式に組み込むとこうなる。

  • QOL = {Self × Field} × Perception

メタ認知能力がゼロであれば、FieldもSelfも認識できないため、論理的にQOLもゼロになる。 赤ちゃんはおそらく、認知能力が低いのでこれに近い感覚だろうか。

仮にSelfを深く理解していたとしても、Fieldの認知が浅ければ、環境の変化に適応できず、長期的にQOLを損なうだろう。 一方、Selfの認知が浅く、Filedばかりの認知を高めていっても、結局Selfの認知が浅いと物事への深い意味づけが難しく、浅いトレンドウォッチャーにしかなれない。(トレンドウォッチャーが幸福に感じられるならいいのかもしれないが。)

さらにSelfをより詳しく定義する。

  • Self = Identity × Skills × Health
    • Identity: 経験的に形作られた脳の回路のあり方、何に報酬を感じ、何に危機を感じるか。報酬系とも言う。この回路が好き嫌いや思考行動の癖といったアイデンティティらしきものを形作る。
    • Skills: 私ができること。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、Identityに紐付いて強化学習された思考と行動のアウトプットとしてSkillsが蓄積される。
    • Health: 体調、心身の健康。これが害されるとQOLは当然ながら落ちてしまう。

ちなみにSkillsについては、どのように人が学習するかに関する非常に参考になる書籍が有るので紹介しておく。 結局Identityにも紐づくのだが。

Learn Better ― 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

次にFieldについてももう少し考える。

  • Field = Theme × Role × Relationships
    • Theme: 抽象的なテーマ、社会課題と言ってもいいかもしれないし、社会の要請と言ってもいいかもしれない。社会全体が進んでいく方向にThemeが設定されているとそこに向かってリソースが流れ込んでいくし、重要なThemeとみなされていないところにはリソースが流れない。あなたがIdentityとフィットして取り組んでいるThemeが社会的にも重要なのであれば、あなたが生み出すアウトプットの価値が大きくなるだろう。
    • Role: 端的にいえば職業。具体的な社会における個人が保つ役割と言ってもいいだろう。家庭における自分の立ち位置もこれに入る。
    • Relationships: 自分を取り巻く集団の状態を含む他者との関係性。人間関係が精神的充足や仕事の生産性に与える影響は非常に大きい。他者からの評価もこれに入る。

ThemeをFieldに位置づけたのは、Themeに意味を見出すのはIdentityだが、Theme自体は実践する領域に属する(すなわちSelfの外側にある)と考えたからだ。 自分の中からThemeが出てくるというよりは、Identityと世界とのすり合わせの一側面がThemeであり、自分というよりは社会に根ざすと考える。 MissionやStatementと表現される自分自身の強い目的意識や計画は、SelfとFieldの掛け算として表現されるものと考えたほうが私はしっくり来る。 Slef(Identity)とField(Theme)。

人によって解釈は異なるだろうが、一旦この前提で進めたい。

ここまでの議論を整理する。

  • QOL = {Self (Identity × Skills × Health) × Field (Theme × Role × Relationships)} × Perception

更にこれに時間軸の概念が加わる。 今日のSelfと今日のFieldがしっくり来ていても明日にもそれがしっくり来ることは誰も保証してくれないし、長期で見れば確実に変質する。 望むと望まずと、絶え間ない変化こそがこの世界の本質だからである。

この変化を前提とすると、ボラティリティという概念が登場する。 何がどのように変化するかは確率の問題であり、誰にも知ることはできない。未来は予測できない複雑なものであり、その複雑性は加速度的に高まっている。 不確実性と複雑性が支配するこの世界への深いインサイトはタレブの主張が非常に参考になる。

反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

VUCAの時代を生きる上で最も重要なことは身銭を切る=リスクを取る事である。 リスクを取ると自分の身をボラティリティに晒すことになるため、覚悟が必要であるが、そうした人にしか生き抜けない世の中になる。 というのがざっくり彼の主張だと私は考えている。 この覚悟を固めるためにSelfの理解が重要であり、そのあたりはエフェクチュエーションという起業論で論じられており、組み合わせて議論すると解像度が上がる。 これもいずれ論じたいと思う。

エフェクチュエーション (【碩学舎/碩学叢書】)

話をQOLに戻そう。あるt時点におけるQOLtは以下のように表せる。 t時点におけるSelfの認知レベルと、Fieldの認知レベルの掛け算で、QOLtは定義できる。

  • QOLt = {Self (Identity × Skills × Health) × Field (Theme × Role × Relationships)} × Perceptiont

一つの考え方として、この総和を人生におけるQOLと考える事ができるだろう。 数式で書くなら∑を使ってやればいいのだけど、どうもはてぶではうまくエディターに打ち込んでも表示されないので割愛する。

この定義に従うと、最適な人生戦略はこの値の最大化ということになる。 (QOLの最大化こそが個人が人生を通じて求める至高の目的であるという前提のもと) 「生きること」はこの方程式にもっともらしい落とし所を見つけ続ける一連のプロセスだとでも言えるだろうか。

なお、ここではQOLをt時点における構成要素に分解し、それぞれの要素を定義する事を通じてQOLのモデル化を試みている。

他の考え方として最適時間配分の議論をすることもできるだろう。 時間は有限かつ平等のリソースなので、それを所与として最適な時間配分は理論上モデル化しうる。(私の学生時代の論文は人的資本の最適蓄積を検討する時間配分モデルがテーマであった) 時間配分モデルのほうがより意思決定を論じる上ではやりやすいかもしれないが、それでは時間の投資からのリターンの総和=QOLを前提とし、QOL自体の議論がしにくいので個々では割愛する。

ここでは要素定義を通じたQOLモデルに関して議論したいと思う。 議論を戻そう。ここでは、

  • 高いQOLを実現するには、
  • 心身の健康が担保された状態を前提として、
  • 自分の報酬系(Identity)を知り、何をしているときが幸せで、何を求めているのかを理解し、
  • それにフィットした取り組むべきThemeを設定し、
  • Themeに取り組めている、自分は幸せだ、やりがいがある、意味有るチャレンジができていると感じられるRoleを持ち、
  • そのRoleにつけるだけのSkillsをもち、更にそのSkillsを実践を経験を通じて強化し続けている(Themeが重要で長期的なものであるほど、そのSkillsの価値が持続する。Skillsについてはまた別途詳細に議論したい)
  • このThemeの追求とRoleの遂行を信頼できる仲間やチーム、組織、集団、社会(Relationships)の中で行っている(なお、Relationshipsをどの程度の広さと深さで定義するかはその人のIdentityの状況に依存する

といったことが言えそうである。 更にこれが∑QOLt全体の最大化問題となるため、t時点のQOL最大化を諦めても長期的に最大化するという戦略も可能である。 例えば、辛いかもしれないが苦労を重ね、将来に渡って持続するSkillsを取得し続けたり、大きな社会課題であるThemeを追いかけたり。

逆にIdentityに引っ張られて有る短期的な時間軸にフォーカスを当ててQOLを最大化したがために長期的に損をする事もありえる。 短期的に楽しむための消費行動に明け暮れ、Skillsが蓄積されなかったたり、Relationshipsから阻害されたりして長期的に損をするといったような。

なお、これらはすべて、あくまで主観的に定義される論点であることに留意されたい。 Themeを持って挑戦している方が、社会とのつながりがあり、挑戦をし続けて新しい刺激を得ており、自己実現に近づいているので、無為に同じ毎日を繰り返す人よりも幸福度が高いとは必ずしも言えない。

なぜなら幸福は定量化できずあくまで主観的な経験であるためだ。 何を幸福と感じるか=報酬とみなすかはIdentityに依存する問題であり、Identityはこれまでのその人の意識的無意識的意思決定の総和として脳に構築された回路=アルゴリズムである。

そもそもThemeに重きを置かない報酬系の人は、Themeを持ちましょうと言ったところで、t時点では効用を感じないし、QOLを向上させない。 もちろん中長期的にIdentityが変化し、Themeの重要性が腹落ちすれば、Themeを持つことによるQOLの向上がもたらされる場合もある。 Themeはそれ自体に取り組むこと自体が長期的なプロセスであるため、短期的な報酬系の人はそれによる効用を得ることは難しい。

この議論自体自由主義の文脈が非常に強いが今回はそこまでメタ認知して相対化せず、この枠組で議論を進めようと思う。

人間のIdentityを所与と考えず、時間軸を入れて変容するダイナミックな存在と見る事が大切だと私は考える。

人間はHackできるアルゴリズムであり、自由意志はない(かもしれない)

実はこの議論の背景には、幸福を定義する最大の要因はIdentityにあるという暗黙の前提が置かれている。 次はこれについて議論したい。

先程述べたように、Identityは自分自身の意識的無意識的な報酬系アルゴリズムである。 あらゆる要素の相互作用のある脳の状態にインプットを投げ込むとアルゴリズムが計算して答えを返す。

あなたは長くハードなプロジェクトのさなかにいるプロジェクトマネージャーだ。今日も仕事が長く終電での帰宅となってしまった。無意識に「私は今疲れている。ああ、なのに経費の削減の煽りを受けてタクシーを使えず電車で帰らないといけない。最悪だ。」と思っている時に、部下から電話が。明日の朝イチの会議の資料に計算ミスが合ったらしく部下がそれに気づいて修正版を送り、報告で電話してきたのだった。すでにクライアントには明日の会議の資料を送ってしまっていた。

おそらくあなたはこんなふうに部下に思ってしまう(もしかしたら言ってしまう)のではないだろうか。

なんでちゃんと確認しなかったんだ!数字にはとことんこだわれと普段から言っているだろう!!何回目だ!この間のプロジェクトでも同じようなミスをしていただろう!

言おうが言うまいが、このように感じたことは、そのあなたにとっての主観的事実である。

  • 疲れているというHealth状態
  • プロジェクマネージャーというRoleでさらされるプレッシャー
  • 成功しなければ昇進できないという焦り(昇進したい=昇進こそ求めるものというIdentity)
  • 何度も同じミスをする部下というRelationships
  • 自分はきちんと指導しているというマネジメントSkillsへの理解
  • クライアントに訂正メッセージを出すと評価に響くという恐れ(RelationshipsとIdentity)
  • 誤りを認めることへの居心地の悪さ(Identity)

等といった状況がセットされた状態で、部下の数値の計算ミスという情報がインプットされた時、あなたの脳は自動的に怒りの感情が沸き起こったと言える。

この時、怒りの感情に対してどう行動するかは意思決定できる。 怒っても仕方がないと思うか、次うまくやるための建設的話し合いをしようと思うか、怒るか。あなたの自由だ。自由意志。

しかし「怒る」という感情自体には、自由意志の入り込む余地はない。 感情は湧き上がる主観的な感覚であり、怒らないようにすることはできない。 感情は自由意志で選べない、無意識な脳のシナプスの発火パターンに依存した生理的な反射だ。反射は一瞬で起きるため、自由意志の入り込む余地はない。なぜなら自動的にインプットに対してアウトプットが返ってくるからだ。

つまり人間は、ただ湧き上がる感情に従って行動しているアルゴリズムなのである。

私は統計やコンピューターサイエンスの専門家ではないので正確ではないかもしれないが、一応理解を書いておくとアルゴリズムとは、インプットに対して計算を実施し、アウトプットを返す一連のプロセスだ。 ここに自由意志が入り込む余地はない。 この怒るという一連の計算プロセスは、まさにアルゴリズムだと言えるのではないだろうか?

このあたりの議論はユヴァル・ノア・ハラリのホモデウスがまたしても非常に参考になる。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

このあたりの考え方は、道徳心理学と呼ばれる心理学の学問を援用するとより解像度を高められるだろうか。 ダニエル・カーネマンに代表される認知心理学者も同じようなことを言っているが、たまたま私が読んで衝撃を受けたのがジョナサン・ハイトの道徳心理学だったのでそちらをベースに議論したい。

人間の心の中には象と乗り手がいる。 象が無意識、感情、反射、カーネマン風に言えばシステム1、ハラリ風に言えば経験する自己である。すなわち、自分の意志ではコントロールできない。 なにかの状況に面した時、象は自動的に好むか好まないかを判断する。

乗り手は意識、思考であり、カーネマン風に言えばシステム2、ハラリ風に言えば物語る自己である。普段自分が思考していると思ったときは乗り手が活動している。これは自分の意志でコントロールしているように見える。 しかし、象のほうがずっと大きく力があるため、象が向いた方向を正当化する事がこの乗り手の主な仕事である。 「嫌いだ」と象が判断したら、乗り手はその理由を見つけるまで思考する。そして、理由を見つけたら満足する。あとはどれだけロジックをぶつけても考えを変えることは殆どない。

ロジックでは人は動かないという格言は真理だ。 象はロジックなど聞いておらず、状況を無意識的に計算し、すでに感情という形で判断を下しており、ロジカルに議論できる乗り手は象の従僕なのだから。 象自体の考えを変えるような体験がない限りは、人の思考と行動の癖は変わらず強化学習され続ける。

「自分は幸福である」「QOLが高い」と思っているとしても、それはこの象がそう感じ、乗り手が自分についての物語りを語る事によって補強しているにすぎない。

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

ここまでの議論を一度整理する。

  • 感情は状況を無意識に処理したt時点の脳の状態にインプットが入った際に、アルゴリズムの計算し、アウトプットした結果自動的に湧き上がるもの
  • 「幸福である」「QOL」も感情なのだとしたら、それ自体もアルゴリズムによる自動計算の結果であるということになる

くどいようだが繰り返すと自由主義の思想と異なり、本質的な自由意志は存在しない(可能性が高い)ため、人間は自動的に状況に反射しているアルゴリズムであると考えられる。 すると感情はすべてアルゴリズムの計算結果であり、心などというものが存在しないことになる。

誰だって不幸にはなりたくない。(もしそんな人がいたら…ここでは議論の脇においておこう) しかし自由意志が入り込む余地がないとすると、幸福か不幸かは、究極的には確率の問題になってしまうのではないか?

しかし私たちは、感情は主観的経験であり不幸や幸福は体験できるものだと直感的に感じる。

この主観主義の自由主義の時代時代においては、結局は自分たちの主観的幸福をどのように求めていくか?という問いが重要なのだろう。 客観的な降伏などないし、誰かが与えてくれるものでもない。 自分のアルゴリズムが幸福であると思い続けられている事こそが主観的に幸福な状態だと考えることができる。

人間はアルゴリズムという前提に立っても、それでも主観的経験と感覚は(少なくとも私という主観的存在の中では)存在するため、せっかく生きるなら幸福な主観的経験と感覚とともに人生を送るのだという立場で議論を進めたいと思う。

自分自身をよく知り、Hackし、幸福になれるか

これが鍵となる問いではないだろうか。

人間はアルゴリズムであり、アルゴリズムは一定の法則性を持つためHackできる。 人間が意識的に知覚できるのは乗り手・物語る自己だけである。

意識的に振る舞える思考と行動を通じて無意識・象・経験する自己に働きかけ、Hackし、脳の回路を意識的に書き換えて行くプロセスこそが、自律的に幸福な人生を歩んでいくために重要なのだと思う。 そうしないと全ては確率だ。

先程、QOLtを数式で概念整理した。 一度ここに立ち返ろう。

  • QOLt = {Self (Identity × Skills × Health) × Field (Theme × Role × Relationships)} × Perception

QOLの議論で最後に述べたように結局はこれらはすべてIdentityの関数でもあるため、何に価値を見出すかはIdentityによる意味付けに依存する部分が大きい。 このIdentityを理解し、Hackできない限りは確率だ。

アルゴリズム議論で整理していたのは、Identityにはいくつかのレベルが有るということである。 無意識の領域と意識の領域である。ここではハイトを借りて無意識=象、意識=乗り手と呼ぼう。

象自体に直接アプローチすることはできない。 なぜなら象はアルゴリズムだからであり、状況に対して決まった反射をしているからだ。 できることは、象の反射の仕方を定義するアルゴリズム=脳の回路を書き換えていくことである。

脳の回路は過去の意思決定の総和として、自分の報酬と危機回避のメカニズムである。 何を好み何を避けるかは、その人の歴史をもとにして作られている。 過去と現在がこのアルゴリズムを形作っている。

従って、脳の回路を書き換えるプロセスを進めていくためには、今と過去にフォーカスを当てるのではなく、未来にフォーカスを当てることが必要になる。 アルゴリズム自体が過去と現在に根ざすため、そこにフォーカスしては強化学習しかされず、変化できるかはまたしても確率だ。

変化するべきなのかは依然として論点として残る。この点について議論を深めたい。 脳の回路は書き換えず、ひたすらに強化学習し続けることでも幸福になれるのではないか?そうかもしれない。 だが、Selfを一定の状態に固定したとしても、Fieldは容赦なく変化し続ける。 変化し続ける環境においてSelfが変化しないとした場合、環境に適応できず死ぬリスクが高まる。

例えば、職人気質に自分の腕だけを信用し、他のものをすべて拒絶する生き方をしていたとしても、その腕が社会的に価値を持つ(Theme、Roleに需要がある)うちは生存できる。 しかし環境が変化し、その腕に何の社会的価値がなくなった場合、その人は変化なくして生き残ることは難しい。 さらに、年をとっているほど有意に脳機能は退化し、学習する能力は損なわれるため、ある程度年をとった段階から変化することも難しいだろう。 このようにして長期的には、変化しないこの職人は一気にQOLを損なう可能性が高い。

また、社会的価値は共同体的主観によって定義される。 一人が価値を持つと思ってもそれは共同体にとっての価値にはなりえない。 価値は主観的で相対的な概念なので客観的に絶対的な価値は存在し得ない。 すると、皆が価値があると信じているものに価値が宿る事になり、これ自体は個人のコントロールできるものではない。

能動的に変化しようとしない限り、生き残れるかもしれないが結局は確率であり運頼みだ。意図的に幸福で居られる確率を高めることはできない。 一番最初に引くくじがせいぜい長期的に幸福をもたらすと信じるしかない。 しかし、くじを引いた状況と10年後は確実に異なる環境であるため、くじを引いた時点の価値は長期的に続くかは不明だ。

話がそれたが、QOLを持続的に維持するためにはFieldの変化に対応するためにSelfも変化させ続ける必要があると一旦結論づけよう。

余談だが、Fieldの変化のスピードは加速度的に増しており、Selfの変化を圧倒するスピードで地殻変動が起こっている。 この遅い個人と早い社会の変化の関係を実に見事に整理しているこちらの記事は非常に参考になった

Hackは静的ではなく動的なプロセスとして理解するべきである

Hackingというと、コンピューターのメタファーではハッカーがコードを送信し攻撃を完了させるものであり、サイバー空間で一瞬で起こる静的なプロセスのイメージがあるかもしれない。

しかし人間の脳は有機的な器官であり、外的なアプローチによって瞬時にその回路を変える事はできない。 将来的には生命科学の発展によって、脳も思うがままに書き換えることができるようになるかもしれないが、今のところは無理だ。

そうすると、外的なアプローチが難しいならば、脳へのアプローチは五感に代表される人間の感覚器官からのインプットに頼るしかないだろう。 ここで言うインプットは広義に情報のインプットのことであり、勉強するという意味ではないことに留意されたい。 実際に行動し、そこで感じたことやフィードバックもインプットである。

従って、脳の回路を書き換えるというのは静的なプロセスではなく、動的なプロセスである。 ある時からカチッと切り替わるのではなく、徐々に変化していくという連続性を理解する必要がある。 完成形をイメージし、そこにすぐに到達できるという静的なイメージを持って取り組むと、すぐにギャップに苦しんで投げ出してしまうだろう。

未来に向かってのみの自己批判的な内省を通じてのみ、意図的な変容が可能であり、それが幸福に向けて自己をHackすることにつながる

先程、アルゴリズムは過去と現在に根ざすため、それに従っているうちは確率論でしか変容できない、さらにSelfの変容よりもFieldの変容のほうがずっと早いため、意図的に変容していかない限りFieldにおいていかれて死ぬ確率が高いと述べた。(ここで言う死ぬとは、QOLが低い状態で生きることも含む、必ずしも生物的な死のみではない)

そして意図的に変容していくためには、未来に焦点を当てて情報をインプットし、Identity(報酬系、あなたは何に対して報酬を感じ、危機回避したくなるのかに関する過去の意思決定の総和であり、無意識に判断を下す象)に働きかける必要がある。

脳の回路は、情報がインプットされた時に無意識下で情動的反射を引き起こし、それが好ましいか避けるべきかを判断する。これは過去の意思決定の総和を忠実に反映している。 直感というやつだ。 自分の意識上では処理しきれない情報もここで処理されているため、直感に従うと正しい気持ちになりやすい。 というかそもそも意識である乗り手は象に従うのが常であるから、直感に従うのはいつも正しいのだ。(少なくともその場で主観的には。) より深く強化学習されている信念ほど、ブラインドスポットとなっていて、変えることが難しい。

先程のプロジェクマネージャーになりきって考えよう。 あなたは昇進したいと考えている。その背景には、人から認められること、評価されることが報酬になるような脳の回路が潜んでいるのだろう。 人から評価されるような情報には報酬系が働くので、自然にやる。例えば自分の成功を誇示したり、権力者をいち早く見抜く能力や組織の力学に敏感であったりするかもしれない。(この組織の力学に敏感であるのはあなたのIdentityから習得した一種のスキルでもある。)

これを変えようとするとどうするべきだろうか? そもそも変える必要はあるのか? この問いをIdentityに対してすると、過去これでうまく言ってきたんだし大丈夫だと言う答えが帰ってくるだろう。

変える必要性を認識するのは、緊張構造が必要だ。 すなわち、何かを成し遂げるためには自分を変える必要があるという圧力をかける必要がある。

緊張構造は非常に単純な原理だが強力だ。詳しく知りたい人はアクションラーニング系の本を読むといいだろう。

自意識(アイデンティティ)と創り出す思考

多くの人はこれがRoleかRelationshipsから与えられることが多い。 マネージャーに昇進したのでそのRoleを遂行するには自分の人への接し方を変える必要が発生する。とか、恋人や配偶者と喧嘩し、これを直さないと別れるといった圧力が働く。等。 これらはあくまで確率論であり、そういう状況に面しない限り変容しないし、自分の手の内にはサイコロはない。あくまでFieldから与えられるかどうかだ。

これを意図的に行う、つまりHackするには、意図的に自分に進化圧をかける緊張構造を生み出す必要がある。

「今自分が行ったこと、昨日行ったことは、将来自分がたどり着きたいところに照らした時に、正しかったのだろうか?」

そう自問し、批判的に内省する必要がある。それによって初めて過去と現在のアルゴリズムに支配された生き方から少しだけ脱出することができる。 これは未来に対して思考するということである。過去ではなく。

望ましい未来を作ろうという思考と行動様式が、結果的にSelfに変容を促し、それによってFieldの変化に対応することを可能にし、QOLを高いレベルで維持し、持続的に幸福に生きる事に不可欠なように思える。

SelfとFieldの織り合わせを通じ、何かを成し遂げている、意味が有る人生を送れていると感じられるように自己を変容させ続けるという、これまでの人類が誰も直面したことがない非常に難しい生き方をしなければならない。 これをどう捉えるかは一人ひとりにかかっている。

が、依然として自由意志などなく結局はアルゴリズムなので幸福など主観的な幻想に過ぎないという主張への反論は何もできていないのだが。 これは自由主義の文脈でしか成立し得ないし科学的な根拠はなにもないのだから。

それでも経験と感覚ができ、感情を持ち、地球史上初めてこれだけの進歩を実現した人間という種である以上、何か前向きな形で世の中を変えられると信じたいものである。

本当はもっと色々と思考がめぐり考えていることがあるが、一旦ここまでにしたい。 どのようにHackするのかに関する考察はまた次回に譲ろう。

イノベーションとかいう曖昧模糊とした言葉の魔力とイノベーターの倫理観

この間たまたま別件の用事で近くを通りかかったので、大学時代の恩師の研究室にアポもなく突然お邪魔して3時間以上ぶっ通して議論してきた。

恩師の懐の広さには尊敬の念を禁じ得ない…。 普通かつての教え子とはいえいきなりアポなしで訪問してさあ議論しましょうとか言ってきたら追い返すだろう。(しかも全く優等生ではなく先生の言うことを聞いてこなかった筆者ならなおさら。)

恩師は経済学が専門だが、ゼミからデザイナーを輩出して以来、デザイン的なアプローチを勉強しており、筆者もゼミ生時代に勉強した。 そんな教授であったので、恩師は経済学以外では「イノベーション」や「デザイン」といったテーマとなると止まらなくなるのである。

その中で盛り上がった「イノベーションとは何か?」「それを求めることは重要なのか?」等のテーマを備忘のために記録しておきたい。

そもそもイノベーションってなに?

イノベーションという言葉は仕事をしていればよく聞くし、学生でもイノベーションを起こしたいです!と目を輝かせて語る人にはたくさんあったことがある。

でもそもそもそれっ何?という素朴な疑問を投げつけると皆答えに困るようだし、たいてい人によって答えることが違う。

ウォークマンiPhoneのような具体的なプロダクトだったり、Airbnbのようなプラットフォームだったり、生産手法や思考法等のプロセスであったり、さらに民主主義や資本主義のような抽象度の高い理論やアイデアであったり、いろいろなものがイノベーションと呼ばれるようだ。(筆者の記憶より)

言葉の生みの親たるシュンペーター先生曰く

新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。つまり、それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。(Wikipediaより)

要はこれまでに誰も見たことがないモノで、かつ世の中をよくするナニカイノベーションと定義できそうである。

世の中をよくするが、見たことがあったり予想がつくようなものの場合はイノベーションとはおそらく定義されない。 例えば、よりハイスピードの処理ができるスマートフォンが売り出されたとして、人々がより快適に掌の上でデジタルライフが送れるようになっても、大して新鮮味はないし、イノベーションとは呼ばれないだろう。

逆に誰も見たことがないが、それで世の中が良くならなければやはりイノベーションとは定義されないだろう。 現代アートで見たことがない芸術作品を見ても、「新しい!」とは思っても、それで取引費用が低減したり、貧困者を減らしたりすることはない。 (筆者は現代アートが嫌いなわけでは全くない。為念)

でもそれって後知恵じゃないか?

このイノベーションの定義に沿って考えてみる。 人は基本的全く新しいモノをすぐに受け入れられるほどの柔軟性はない。 であれば「本物のイノベーション」なるものが存在したならば、それを見た人の反応は以下の3パターンに大別できるであろう。

  1. それを受け入れる
  2. それを拒絶する
  3. とりあえず様子見する

感覚的には3.が一番多そうだ。 要は、「本物のイノベーション」なるものが存在したとして、それが世に出た瞬間は議論を生むものであり、すぐに世の中的にイノベーションとは認定されないのである。

iPhoneイノベーションととらえるならば、イメージがわくだろう。 始めてiPhoneが出現したときは、こんなもの誰が使うんだ!というリアクションとこれは面白い!というリアクションに筆者の周りの人間は分かれていたように記憶している。 今ではiPhoneは受け入れられ、すっかり世の中を変えてしまった。

イノベーションが後知恵なら、何を目指せばいいのさ

当然こうなる。 イノベーションを起こすつもりで頑張ったとしても、所詮イノベーションは結果論だとすれば、何を目指せばいいのか。

筆者はイノベーションに再現性が無い理由はここにあるのではないかと勝手に思っている。

イノベーションは後知恵的に定義される結果論であり、その結果が導かれるまでの間にある変数が多すぎるが故、イノベーションは再現性が無いのである。

では、再現性のないイノベーションを追い求めることは間違いなのか? それは筆者にはわからない。

ただ、何でもかんでもイノベーションと呼んでそれを追い求めることは危険であると考える。 イノベーションとは何か?と聞いて帰ってくる答えが人によってかなり違う上、場合によっては同じ人に聞いても答えが違うことが稀によくある。

これはイノベーションを定義できていない状況であり、定義できないものは自分でコントロールできないことを意味する。 自分でコントロールできない曖昧模糊としたな言葉を掲げ、それを大義名分のように振りかざしたとして、世の中をよくするナニカなど起こせないだろう。

イノベーションの負の側面

筆者が恩師と議論する中で、なるほどと思ったことがある。 イノベーションには負の側面があるということだ。

先述のイノベーションの定義の中に「世の中をよくするナニカ」という言葉を入れたが、「世の中が良くなる」とはどういうことだろうか。 (この後は、イノベーションの定義の新しい事の部分は脇において議論を進める。)

当たり前であるが、世の中が良くなるとは、実はイノベーションの起こる前と後で何かが変わった事、すなわち変化を前提としている。

だが変化には必ず、サイドエフェクトがある。 筆者の恩師たる経済学者の立場からすれば、イノベーションによる変化が起こる前と後で、社会全体の効用が拡大していれば、ひとまずそれは世の中をよくしたと言えよう。

しかし当然、それには公平性と時間軸の観点を考慮に入れなければならない。

簡単な思考実験をしてみる。

思考実験①

  • 全人口100人の世界を想定する。
  • AIの進化によって10人が不幸になり、一人当たり10の効用が失われるとする。
  • しかしAIの進化のおかげで、90人が一人当たり2の効用が増加するとする。
  • この時社会全体の効用の変化は、増加分180(90×2) - 損失分100(10×10) = 社会効用の変化+80
  • 以上より、AIの進化は世の中をよくしていると言える

典型的な功利主義者の主張である。 この場合、不幸となった10人はよりよい社会のための生贄のようなものである。 ここにあるのは公平性ではなく、合理性だけである。 しかし実際の社会では、この生贄となる人々のことを考える必要があるのではないだろうか。 公平性はイノベーション(というか変化)を論じる上での一つの論点となり得る。

思考実験②

  • 全人口100人の世界を想定する。
  • iPhoneにより、100人全員が掌の上で何でもできるようになる。
  • それにより、2016年時点で100人の効用が10増加したとする。(合計1,000の効用増加)
  • しかしiPhoneのせいでだんだんと人々は思考を放棄するようになり、2100年以降はイノベーションが起こらない人類社会となってしまった。

時間軸を長くとって考えてみるとこんなこともあり得る。 だいぶ極端な話だが、あまり外れてもいないという感じもする。 電車ではスマホを見ていない人の方が少ない。スマホから来る情報を処理するだけで、自分の脳みそで思考していない人がいかに多い事か。 短期的に世の中をよくしていても、長い時間軸で考えるとそうでもないことはたくさんあるように思う。

イノベーターを世の中を本当によくする存在と定義するならば、イノベーターたる者はみな、この公平性と時間軸の目線をきちんと持ち、自分のアイデアやプロダクトがサイドエフェクトを持つことを自覚し、それに責任を持つことが重要であると考える。それがイノベーターに求められる倫理観ではないだろうか。

世の中をよくするなんておこがましいことを目的に持ってくるとしんどい

思考実験を通してい考えてみたのは、「世の中をよくする」とはとても難しいということである。 あるアイデアを思いつき、それが「世の中を良くする」と言い切るためには、変化によって生じるアップサイドとダウンサイドの両方を鑑みた上で、自分のスタンスを取る必要がある。(功利主義でも、資本主義の論理でもなんでも構わない) しかしどのスタンスを取っても現実には必ず不幸になる人がいるので、反論の余地が残る。

それでも人類をより今より豊かにすることは、今の社会をつくり、現代にいたるまでバトンをつないでくれた人類の偉大なる先輩方と、自分たちの後に続く世代に対する義務であることは確かである。

でもやっぱり、イノベーションは社会をよくすることを目標に掲げて頑張るには現実との乖離もあるし、曖昧すぎてしんどい。

恩師との議論の末の一端の結論は、やはり自分の手触りのある視野で一人でも幸せな人を増やすように頑張ることではないだろうか、というありきたりなものであった。

しかし筆者が思うに重要なことは、手触りのある視野で幸せを一つ作りつつも、今回備忘に記載したような全体感や抽象度の高い社会全体とそれをつなげる視座の高さを持つことであると思う。

人生のテーマついて考えてみた

人生で取り組むこと、すなわち人生のテーマを明確に持っている人ってどのくらいいるのだろうか…。

大小様々取り組むテーマってあると思うのだけど、自分はどんなものに取り組むべきなのか、取り組みたいのか… が最近の悩みです。

誰でも多かれ少なかれ悩むのでしょうが…。

そんなわけでちょっと人生のテーマの捉え方というか軸を整理してみました。

誰にでもあてはまるわけではないけど、今時点の仮説。。。

僕の今のテーマは複雑だけど答えありき

何がやりたいだろうと考えてみる。。。 何に情熱が湧き上がるだろうか。 ちょっと色々出してみます。

  • ベンチャーに行って事業を回して大きくしたい
  • 参謀的な立ち回りが僕には向いているのでCFOとかになりたい
  • でも一方では起業してみたい
  • 人の相談に乗るみたいなのも好きだから、マネージャーとして若手の教育担当なんかも興味ある
  • お金を稼げることがしたい
  • 大学院に行って勉強し直したい
  • 貧困、格差、BI…大きなテーマへの関心が高まってきたので公共系の仕事にも興味がある。特に、公共政策立案がしたい
  • エトセトラエトセトラ…

いくらでも出てくる。

取り組むべきテーマと言っても思いつくままに挙げてみてもきりがないので、ちょっと軸を切って整理してみる。

こんな感じでどうだろうか。

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テーマセグメンテーション(筆者作成)

縦軸にはそのテーマの視点、すなわち先の何かを見るFuture Orientedなタイプなのか、現実を見るFact Orientedなタイプなのかで切ってみる。

Future Orientedなテーマは創造的なだったり先進的だったりする。 自分の情熱に従って、こうありたいとか、こうあるべきとかを追求する。 何かをなす、作り出すことを念頭に置く。 過去にない無いものを追求するため、どうやるかではなく、なぜやるか、何をやるか、どうあるべきかなどが重視される。

一方、Fact Orientedなテーマはより課題解決的なテーマだ。 この社会課題を解決したい、この経営課題を解決したいとか問題解決に情熱を燃やす。 何か解を出すことを念頭に置く。 これにはある程度方法論やフレームワークがあり、どうやるべきかが重視される。

横軸にはテーマのComplexity、すなわちどれだけ複雑なことをするかでで切ってみる。 例えば、そのテーマを追求すると様々な人と絡まないとできないテーマほどComplexityは高い。 もちろん、人にかかわらず様々な要素が絡んできて本質が見えにくいようなものも複雑星が高いと見て良い。

これで4象限ができる。 反時計回りに見ていく。

Adventure

Future OrientedでかつComplexity HighなテーマはAdventureと名付ける。

自分の心に従って将来を描き、様々な人を巻き込み、いわゆる先駆者として未来を切り開いていくようなテーマ。 上記に僕が書いたものだと起業が該当する。

これに心の底から燃える人は根っからの起業家タイプなのだろう。

Art

Future OrientedかつComplexity LowなテーマはArtと名付ける。

自分の心に従って活動するが、それはあまり他人と関わらず複雑性は高くない。 自由に思うがままに自己表現をする芸術家が最も典型的だと思う。

発明家はAdventureなテーマとややかぶる気もするが、僕はこっちだと思う。 発明を元に世界を変えるために起業し、複雑性が高まってくるとAdventureなテーマになると思う。

僕はこれに関するものはあまり情熱がないらしい。

Study

これが一番わかり易いかもしれない。 Fact OrientedでComplexity Low。 現実とか事実に基づいて、他者にあまり関係せず自分の思うがままに進める。

学業や研究が当てはまる。

上記だと、大学院で学び直したいとかが当てはまる。

Project

Fact OrientedかつComplexity HighなものをProjectと呼ぶ。

最もこれに近いのは僕の職業であるコンサルタントのようなアドバイザーだと思う。 複雑な事象を解き明かして課題に対して解を出すわけだが、それは何をやるべきかよりもどうやるべきかが重視される。

Adventureとは明確に違う。 ゴールありきでそこに向かって走りきる。 そこにあるのは事実と方法論。

こう見ると今の僕はProjectをテーマに生きていることになる。

上に書いた、公共政策もどうやるかが重視される複雑な課題解決だし、教育担当もこちらだろう。 そして参謀的に事業を回して大きくしていくのもここに入る。

今時点の結論として、やっぱり僕はタイプ的にここなのだろうと思うわけです。

テーマへの関わり方を考える

テーマへの関わり方は、それぞれのテーマのタイプで色々あるはずだ。

ということで、Projectについてはこれも4象限で整理してみた。

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My positioning (筆者作成)

縦軸に自分の立場がそのテーマにOwnerとして取り組むのか、外部のAdvisoryとして取り組むのか。

更にそれぞれの立場でリーダーなのかフォロワーなのか。

これによると僕は今右下のところ、Advisoryのスタッフである。

取りうるオプションは3つ。

  1. 右を目指す。つまり今の職業のまま上を目指す。すると右のProfessionalのLeaderつまりPartnerになる。
  2. 上を目指す。OwnerのFollower、つまり事業会社などに転職し、自分がオーナーとして取り組む。それによって何かしらの課題を解決する。
  3. 右上を目指す企業参謀的に振る舞う。ベンチャーへ役員で入る、共同で起業してそのポジションに付くなど。

縦軸はテーマのフォーカスとしてvisionとproblem solvingの方が良かったかな。

論が結ばれていない暫定の結論

うーん、今の時点でどうも決め切られない。

でもこのまま上を目指すだけは全くピンとこない。 それだけでも整理した甲斐があった。

もう少しじっくり考えたい。 殻にこもっていても埒が明かない気もするので、 もっと外の人のアイデアを聞いてみたい。

後は外国の特に新興国とかの勢いを感じたり。

刺激を沢山受けて考えを深めたいと思いました。

よく聞かれる炎上案件について(2/2) -炎上案件との付き合い方

前回は、そもそもなぜ炎上するのかについて書きました。

今回はスタッフの立場として、炎上案件に入りたくない場合の立ち回り方、 炎上案件に入ることの是非等を考えてみたいと思います。

前記事を踏襲して書いているので、未読の方はそちらから読んでいただければと思います。

前記事はこちら

炎上案件やりたい?

炎上案件で毎日タクシー帰り的な話をすると、たいていの学生や後輩たちは

  • えっ…とか、マジですか…的なドン引き
  • やりたくねー的な反応

のどちらかの反応が返ってくることが多いです。

ここ最近はコンサルティングファームも労働時間を削減する方針なので、 このようなケースは減ってきましたが、それでもやっぱりまだあるのです。

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炎上案件をどうやって見分けるか

炎上案件から逃げるためには、そもそも炎上案件かどうか判断することが必要です。

とはいっても、前回書いた通り、炎上とは案件が始まってから発生するので、案件に入る前は分からないのです。 もちろん、既に炎上している案件へのアサインの話は別です。

ではどうやって見分けるのか。

全記事のでは、分析の結果以下の要素がある案件が炎上しやすいとまとめました。

  • 案件の目的がフワッとしており、スコープが広いと炎上しやすい
  • クライアントの要求水準が高いと炎上しやすい
  • クライアント側からの協力度合いが低いと炎上しやすい
  • マネージャーがうまくコントロールできないと確実に炎上する
  • スタッフのスキルが低い場合は炎上しやすい

このうち、案件開始前の段階のスタッフレベルで状況を把握できるものは、 4つ目と5つ目です。

1つ目は案件を取りに行っている段階では固まり切っていないことはまあまああるので、 アサイン面談の段階で確認しきれないことが多いです。

もちろん、確認することをお勧めしますが、提案中ではまだクライアントと合意できていないので、 覆ることはたくさんあります。

2つ目についても同様に、クライアントに会って仕事をしてみないとどの程度要求水準が高いクライアントか判断できませんので、なかなかアサイン面談の段階で把握するのは難しいでしょう。

過去に誰かが同じクライアントを経験していれば、わかる場合もあるかもしれませんが。

3つ目も2つ目同様、どの程度協力してもらえるかは案件開始前にはわからないことが多いです。 たいてい案件が始まってから、この話はXX部門に確認しないと、とか子会社に協力してもらわないといけないと言ったイレギュラーが起こります。 これらは基本的に外部のコンサルには予測困難です。

4つ目と5つ目はコンサルティングファーム内事情なので把握することができます。 ちゃんとコントロールできるマネージャーなのか、どんなメンバーで案件を回すのかをしっかり把握することが重要です。

どうやって回避する?

結論から言うと、

  1. 日ごろからの情報収集
  2. 断るだけのオプションを持っておく

の2点だと思います。

1.日ごろからの情報収集

意外と社内の評判というのは当てになるものです。 アサイン面談の前に、どんなマネージャーなのか、情報収集をしましょう。 日常的に社内のメンバーの情報を集めておくとかなり役に立ちます。

プロフィールを社内ポータルのようなもので確認したり、上司に聞いてみたり、一緒に仕事をしたことがある同僚に聞いてみたりしましょう。

特にどのような経歴で、どんな案件を経験しているのかは押さえておきましょう。 これから入る案件がそのマネージャーに全く経験がないものである場合、コントロールしきれない可能性が高まります。

下調べをしたうえで、アサイン面談に臨みましょう。

アサイン面談では、炎上という観点では最低でも以下を確実に確認しましょう。

  • 案件の目的
  • クライアントのカウンターパートの情報
  • 案件のメンバー構成

案件の目的は言わずもがな。何を目指す案件で、その中でコンサルの役目は何か。 どのような仕事を期待されているのか。 それをどこまでクライアントと具体的に明確に合意できているのか。

クライアント側のカウンターパートの情報は分かる限りで聞いてみましょう。 この会社だとこんなイメージなんですけど、今回のカウンターパートもそんな感じですか?みたいに聞いてみると、何となくイメージがわきます。

メンバー構成は重要です。 評判のよくないスキルの低いメンバーがいるとしわ寄せが来やすいです。 どんな人がファームにいるのかは日ごろから情報を集めておきましょう。

その他、自分はどのような役目を期待されているのか等はきちんと聞いておきましょう。

このように情報を集めておくと、まずは燃えそうかどうか判断できます。

2.断るだけのオプションを持っておく

判断できたところで、断れないと結局回避できず、意味がありません。

断るためにはどうすればよいか。

これは結構シンプルで、他のオプションを用意しておくことです。 すなわち、2案件以上声がかかる状態にしておくのです。

そうすれば、これは炎上しそうだと思った時に、別の案件があるのでと言って断ることができます。 言い方は要注意ですが。

たいてい、僕はこういうキャリアプランを持っていて、そのためにこういうところがのばしたいと考えている。 だからこの(炎上しそうな)案件ではなくて、あっちの案件がやりたいと言えば大抵は納得してくれると思います。

そのためには、常日頃から、複数の上司とコミュニケーションをとっておくことが必要です。 自分がやりたいことを伝え、そのような案件があったら声をかけてもらえる関係を作ることです。

もちろん、実力やポテンシャルがあることをしっかりアピールしておくことも重要です。 口だけだと使ってもらえません。 日頃からきちんと仕事をこなし、できるやつだという評判を作っておくことが肝要です。

炎上案件はたまにやる分にはよい

ここまでずっと炎上案件をどう見分けて回避するかを書いてきましたが、別に炎上案件は必ずしも悪ではありません。

ずっとそればかりやっているのは、相当きついですからいつか潰れてしまうかもしれませんが、 適度にやる分には成長機会になってよいと僕は考えています。

炎上案件では、コンサルにとっての非常事態なので、メンバーは普段よりストレッチして仕事をフル回転でこなす環境が強制的に作られます。

その中でもがくことは確実に財産になると思うのです。

また、炎上案件を乗り越えると、そのチームのメンバーとは固いきずなが生まれます。 そのネットワークは非常に貴重な財産になります。

私も一年目の頃、どんどん増えるクライアントからの要求を上司がコントロールできておらず炎上した案件を経験しました。

本来はもっと上の人がやるタスクをやることになり、一人でウン兆円企業の執行役と対峙しました。 22歳のペーペーが圧倒的な威圧感と経験がある50歳くらいの執行役員と直接やりあって検討結果を報告するのです。

このとき僕はまだまだ未熟でしたが、がむしゃらに仕事をして検討結果を執行役員に提示、議論して経営会議資料を作り上げました。

始めはこんな若造で大丈夫か?という顔をしていて名前も呼んでもらえませんでしたが、 最終的には名指しでお礼をもらい、とても誇らしい気持ちになったことを覚えています。

当時はきつくて嫌になりましたが、振り返るととてもいい経験になっています。

そもそもコンサルティングの案件とは、クライアントにとっては日常業務の外側の非日常です。 上記の案件もその会社としては初の試みを実施する支援が案件の目的でした。 (こう書いてみると目的がフワッとしてますね。炎上する前触れです笑) 普段自分たちの日常業務でやらないところだからこそコンサルとやる意味があるのです。

自分たちの非常事態を捌けなくてクライアントの非常事態を捌くなど土台変な話なのです。 まさに医者の不養生。

終わりに

いかがでしたでしょうか。 ずいぶん長く書いてしまいました。

コンサルを目指す方の参考に、コンサルの方は「あーわかる」とか「ちがうな、私はこう思う」のきっかけになれば幸いです。

よく聞かれる炎上案件について(1/2) -そもそもなぜ炎上するのか

炎上という言葉をご存知でしょうか。

コンサルティングファームではよくこの言葉を聞きます。 「ああ、あの案件は炎上してて大変そうだよね」とか、「炎上したせいでここのところずっと徹夜続きだ」と言った感じ。

OB訪問を受けたり、新入社員と話したりすると、「炎上案件の経験はありますか?」とか、「どんな感じですか?」とか、「どうやったら逃れられるの?」といった質問をよく受けます。

せっかくなので、ちょっと炎上について僕なりに整理してまとめてみたいと思います。

炎上とはなにか

そもそも「炎上」って何のこと?

何となく使っているけどちゃんとした定義はしていない人が多いような気がします。

炎上のイメージ

新人とかと話していると、下記のようなキーワードが浮かぶ人が多いようです。

  • きつい
  • 徹夜続き
  • 家に帰れない
  • 精神的に病む
  • 人間関係がよくない(ギスギスしている)
  • どんどん人が投入される

上にあげたキーワードは何となく炎上っぽい感じはしますが、定義としてはいまいちだと思います。

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炎上案件の定義

僕の中での炎上案件の定義は、特定の案件において、メンバーの労働時間が予定をはるかに超えて非常に長い状態が一定期間続く案件だと考えています。

人間関係や精神的に病んでいるかは関係なく、純粋に長時間労働が続くか否かだと思っています。

もちろん、労働時間が長く苦しくなった結果精神的に病んでしまったり、 人間関係が悪化することはあるかと思いますが、あくまでそれは結果です。

労働時間が長くなくとも、上司が厳しかったり、うまくいかずにストレスが溜まったりして精神的に病んでしまう方はいますし、早く帰れても人間関係が良くない案件なんかも普通にあるでしょう。

どんどん人が投入されるというのは、現状のリソースでは対応しきれないために、人海戦術で何とかするということですが、これは炎上案件への対応策ですので、炎上案件の定義とは違うと思っています。

炎上案件に人がどんどん投入されるというのは間違ってはいませんが。

「予定通り」「一時的」の長時間労働は炎上ではない

また、「予定を超えて」も重要な要素です。 コンサルティングファームでは通常、案件開始時にスコープをクライアントと合意し、 想定されるタスクを洗い出します。

この段階で大体どのくらい忙しくなるかはある程度見えるはずなので、その範囲内で労働時間が長い場合はあまり炎上とは呼びません。だった初めからそうなるって分かってたわけですから。

例えば、BDD案件なんかは、初めから過酷な案件になることは分かりきっているので、あまり炎上とは呼びません。 BDD案件のメンバーが遅くまで残っていても、そりゃそうだよねって感覚です。

また、企画ものの案件等で、最終報告書をまとめ上げる場合などは突発的に労働時間が長くなることはありますが、これも突発的で一時的なことなので、炎上と呼ばれることはありません。

一時的なことだし、鎮火するのが目に見えてるわけですから。

なので炎上とは?と言われれば僕は予定を超えてとにかく労働時間が長くことだと答えています。

「非常に長い」ってどのくらい?

労働時間が非常に長いと言ってもどのくらいから炎上なの?と聞かれそうですが、 これは人によって感覚が違うかもしれません。

炎上と呼ばれるときの労働時間の長さには僕は2パターンあると思っています。

  1. 慢性的に労働時間が長い案件
  2. 突発的に労働時間が長くなる案件

一つ目の方がイメージしやすいかもしれませんね。 何かトラブルが起こって予定外に労働時間が長い状態がその案件の間ずっと続くような感じです。

典型的なのがシステム系の案件ですね。 システムを導入する際に、何かトラブルが起こってその対応に追われるような状況です。

案件の初めに設定したシステムの稼働日に間に合わせるために、膨大な作業を一気にこなさなければならなくなったりします。

こういう場合、先述のように通常はさらに人を投入して何とかすることが多いですが、 人を増やしてもきついことには変わりありません。

この場合は、帰宅時間が終電くらいという状態が数カ月続くような感じです。

二つ目は企画ものなどでありがちなケースだと思います。

典型例としては、中間報告などで役員などに報告した時に、「ちょっと違う」とか「あれも検討してくれ」とか言われて一気に修正する場合などでしょうか。

一時的に一気に負荷が高まりますが、「ちょっと違う」部分の修正や「あれ」を検討し終われば基本的には落ち着くので、一つ目程絶望感はないです。

この場合は、終電を逃してタクシーで帰るのが数週間続くような感じです。

マネージャークラス以上では他の炎上の形がある

上述の定義で書いたのは、主にスタッフクラスを想定しています。

スタッフクラスとは、案件において実際の調査や分析、レポーティングを担当するメンバーのことで、 全体を統括するマネージャーとはロールが根本的に異なります。

マネージャー以上のクラスは、論点整理と進捗の管理が主な仕事ですが、スタッフクラスは実際に手を動かして紙を書くのが仕事です。

もちろんマネージャーも炎上案件では、深夜まで働くことはざらですので、上述の定義の「メンバー」にマネージャーも該当します。

しかし、責任者であるマネージャーは労働時間以外にも、炎上のタネを抱えています。 それは「クレーム」です。

最終報告をして、成果物を納品したのにクライアントが満足しておらずファームにクレームを出した。 この場合、マネージャーはこの対応をしなければなりません。

クライアントとの窓口としての対応はもちろん、社内のリーガルやパートナー陣とも打ち合わせが増え、マネージャーは批判の矢面に立たなければならず、とても精神的にハードになります。

典型的な例としては、

  • リサーチ案件で十分なファクトを集められなかった
  • 期限までにスコープのタスクを完了できなかった
  • 前提条件の変更等により、スコープを変更したがそれがクライアント上層部と握れていなかった

等があります。

僕はまだマネージャーではないので、マネージャーには他にも炎上のタネがあるのかもしれません。

なぜ炎上するのか

なぜ炎上するかを突き詰めるには、案件の構成要素を整理し、 どの要素がどうなると炎上するのかを整理する必要があります。

案件の構成要素

ここでは、炎上の理由を探るため案件を下図のように分解します。

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案件の構成要素(出所:筆者作成)

要素①:目的が曖昧な案件は炎上しやすい

コンサルティングの案件は、必ず何か目的があって始まります。

例えば海外進出したいと考えているクライアントがいるとします。 このクライアントがコンサルティングファームに依頼をするとしたら、

  1. この商品をこの国で展開したいから、この国の市場や規制を調べ、行くべきか評価してほしい
  2. このビジネスをするにはA国とB国、どちらがいいか調べてほしい
  3. この商品を展開するのに、どの国が一番いいか調べてほしい
  4. どの国でどんなビジネスをしたらいいかわからない

などなど…クライアント検討状況によって案件の目的は様々です。 案件は目的を達成するために立ち上げるものなので、炎上に非常に密接に関わります。

目的がフワッとして検討領域が広範囲に渡る場合、当然ですが炎上しやすいと言えます。 何に応えればいいか分かっていない状況だと、正確なプランが立てられませんし、 クライアントの中でも固まっていないので、案を持って行っても「うーん違う」となる可能性が高い。

上記の例では、数字が大きくなるほどフワッとしています。

1.はイメージしやすいですね。商品も対象市場も出すべき答えもわかっているので、ある程度正確にプランが立ちますし、炎上することなく乗り切れそうです。

2.もイメージしやすいですね。A国かB国かどちらがいいかロジカルにファクトベースで語ればいいです。 もちろん調査がたくさん出てきて大変でしょうが、予想外は起こりにくそうです。

3.の場合は炎上しそうな匂いがします。どの国がいいか絞り込むロジックなんていくらでも考えられますし、 全ての国をスコープにしたら永遠に終わりは来ません。 商品の特性等から、うまく最初に国を絞って作業量を減らす必要があります。 この国の選定ロジックをクライアントと握れておらず、検討が覆ると最悪です。

4.はほぼ間違いなく炎上しそうです。何をするかもどこでやるかも決まっていないとなると、そもそもどこから話を始めればいいかわかりません。 旨くスコープを切って、「まずは商品Aを展開する。進出先はASEANとし候補を2国に絞る」「中国で展開するビジネスを検討する」等、案件の目的を具体化し、クライアントと握ることが先決です。 これに失敗すると確実に炎上し、なんだかわからない報告書が出来上がります。

こんなわけで、ある程度は案件の目的によって炎上しやすいものを判断することができます。

ただ、クライアントがどうしていいか分かっていない状況を整理してやるべきことを明確にしていく というのは、コンサルタントの大きな価値の出しどころです。

上記の例の1.のパターンはクライアントの中で答えがあり、その検証をファームに外注しているだけで、 ほぼコンサルタントは作業者と言えます。

一方、4.のようにどうしていいかわからない状況を一緒に考えて進めていくことは、クライアントと共創し、 ビジネスを作り上げていくという点でとても価値あるものであると思いますので、 一概にこの手の案件はやらない方がいいとは言えないと思っています。

先が見えず困っているクライアントを助ける事こそコンサルタントの価値の出しどころです。

要素②、③:成果物、期間は炎上には関係ない

成果物とは、案件の最後にクライアントに収めるもので、一般的には最終報告書であり、Power Pointで書かれたレポートです。

これで炎上するのは基本的に納品後のクレームとなるので、マネージャーにとっての炎上となります。 スタッフはあまり関与しません。

ここで炎上するということは、クライアントの期待値コントロールも含めた マネージャーの管理不足が最大の要因と言えます。

同様に期間が長かろうが短かろうが、炎上することはあるので、あまり期間の長さが炎上の要因になることはありません。

もちろん、短期の案件程、一気に作業をこなすため、労働時間が長くなりがちですが、 あくまで「予想通り長い」ので、僕は炎上案件とは呼びません。

要素④:要求水準の高いクライアントは要注意

僕はクライアントのタイプを要求水準の高さと、ロジック力の2つの軸で整理しています。

要求水準とは、コンサルタントのアウトプットに求めるレベルの高さです。

これには質と量の観点があります。 質の観点にあたる、「これでは足りない、もっと質を高めろ」というオーダーが一番いついです。 質を高めようにも、投入時間に対して品質向上は限界的には低減していきますから、時間をかければなんとかなるわけではありませんし、それでもやろうとするとスケジュールを守れなくなってしまいます。

量の観点では、あれもこれもやってくれとどんどん作業量が増えていきます。

要求水準が高いクライアントの場合は、当初想定以上の質や量を求められ、炎上しやすいと言えます。

もう一つの軸であるロジック力は、クライアントのロジック面の強さです。

ロジック力が高いクライアントの場合、コンサルタントの提案を理解するのが早く、 リーズナブルな反応をしてくれます。

一方ロジック力が低いクライアントの場合は、全く意図しない反応をされることが多々あり 対応が大変になりがちです。

図にするとこんな感じです。

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クライアントタイプ分類(出所:筆者作成)

ライオンタイプ

要求水準もロジック力も高いクライアントをライオンタイプと定義しています。

コンサルタントの意図を正確に読み取った上で、 どこまでも高品質を求め、ここが足りないここがダメ、こうしろと要求します。

消費財メーカーのマーケターや製造業の製造部門等の大企業の花形部門の上役、社長、元コンサルタントのクライアントなどが該当します。

このタイプを相手にする場合は炎上しやすいと言ってもいいかもしれません。 彼らの期待値を満たし、超えるためには並大抵の仕事では無理です。 当初の想定をはるかに上回る要求が出ることもざらにあるでしょう。

このタイプはコントロールすることが非常に困難です。 覚悟を決めましょう。

猫タイプ

要求水準は高いが、あまりロジカルでないクライアントを猫タイプと定義します。

あれやこれや要求するものの、それが一貫性がなかったり、あまり意味がないものであったりするクライアントです。

例えば中国進出戦略を立てているのに、やっぱりインドも気になるから調べろとか、そんな感じです。

この手のクライアントはまさに猫のようにコントロールするのが難しく、炎上しやすいと言えます。 正ロジカルに攻めてくるわけではないので、うまくあしらって進められるマネージャーであれば、 ライオンよりはうまく対応できるでしょう。

犬タイプ

要求水準は大して高くないがロジック力が高いクライアントを犬タイプと定義します。

コンサルタントの意図は素早く読み取るが、多くは要求しない。 そんな天使のようなクライアントです。

コンサルタントへの理解を示してくれるので非常にやりやすいクライアントと言えるでしょう。 あまり炎上しやすいタイプではないと言えます。

羊タイプ

あまり要求しないし、あまりロジカルでもないタイプを羊タイプと定義します。 コンサルタントの提案にケチは付けないタイプなのでやりやすいと言えます。

ただし、正確にコンサルタントの提案を理解しきれていない場合は、後々そのボタンの掛け違えで検討が覆る等、 問題が起こることがあります。

基本的にきちんと合意形成しながら進めていれば炎上しないと言えます。

もう一つの軸

実はこれとは別に3次元目の軸として、 「コンサルタントへの協力度合い」も非常に大きいと思っています。

当たり前ですが、クライアント側が案件に乗り気ではなく、コンサルタントに協力してくれない場合、 非常に炎上の可能性が高まります。

案件の作業プランはある程度クライアント側の協力を前提として立てるので、その前提が崩れると確実に予定外の仕事が発生します。

よくある例としては、発注した部門と実際の対象部門が異なる場合です。

例えば経営企画部門が、間接費削減プロジェクトを立ち上げ、コンサルに依頼した場合、 依頼主は経営企画ですが、対象部門は間接材の部門となります。 当然間接材の部門は経営企画が勝手にやったことで外部から口を出されるので嫌がります。

また、もう一つよくあるのは、他のグループ企業などが絡む場合です。 コンサルの直接のクライアントがメーカーで新商品を開発する案件だったとします。 日本のメーカーの多くは製販分離していて、実施際に販売するのは別法人である販社であることが多いです。 この場合販社とコンサルには何の契約もないため、直接やり取りしにくかったり、情報を開示されなかったり、 協力してもらえなかったりすることが多々あります。

要素⑤:コンサル側の要因は非常に大きい

最後の要素はコンサル側です。 こちらは、5aのマネージャーと5bのスタッフに分けて話をしたいと思います。

5a:マネージャーの期待値コントロールがすべて

マネージャーは案件の責任を負っています。 その案件の目的、期間、納品物、メンバリング等をクライアントと握り、クライアントの期待値も含めてコントロールします。

これがうまくいかないと、ほぼ確実に炎上します。 うまくコントロールできないマネージャーの案件では、想定外が起こりやすいためです。

目的をきちんと握れていない場合は最悪で、目的ががらりと変わるとこれまでの作業は無駄になり、 すべてやり直さないといけなくなります。 例えば、案件3か月の内、2か月目でそれが起こったとすると、1か月で何とかしないといけないので、 絵に描いたような炎上案件になります。

期待値をうまくコントロールできないと、クライアントの言いなりになってどんどんスコープが広がって 予定外の仕事が増えたり、想定していた以上の調査が必要になったりして炎上します。

5b:スタッフはあまり要因としては大きくない

基本的な設計はマネージャーが担当することが普通ですから、スタッフのせいで予定外が起こり、炎上することはあまり多くないと思います。

スタッフが原因で炎上するとしたら、以下のようなケースでしょうか。

  1. スタッフのスキルが著しく低い
  2. メンバーが減る

スキルが著しく低い場合、当然ですがマネージャーが当初想定していた以上に労働時間が長くなります。 このタスクは一人でできるだろうと思っていたのに、スキル不足でできない場合、マネージャーや他のメンバーが尻拭いをするために追加的に働かないといけなくなります。

また、正確に意図を理解しないで作業をしてしまい、結局無駄になってやり直し、またはほかのメンバーが手伝うなども割とよくみられる光景です。

できないことを言ってくれればまだいいのですが、それも言わずに蓋を開けたらだめでしたが最悪ですね。

スキルの低いメンバーを計算に入れてチームを作っていればまだましですが、少人数で回す中で、 一名でもこういうメンバーがいるとかなり炎上しやすいと言えます。

また、メンバーが病気等で倒れたり、いきなり転職したりすると、炎上しやすいです。 元々3人でやる予定でプランしていたのに、いきなり2人になったら、当然他のメンバーにしわ寄せが行きます。 メンバーの埋め合わせができないとメンバーが長期間の長時間労働をする案件になり、炎上案件と呼ばれます。

ただしこれはかなりまれなケースです。 病気と言っても長期間に及ぶものは少ないですし、転職する場合は事前に相談し、 案件がきちんと片付いてから退職するのが普通です。

まとめ

色々と書いてきましたが、真面目に考えると、炎上の原因とはずいぶんたくさんあることが お分かり頂けたかと思います。

一応総括としてまとめると、

  • 案件の目的がフワッとしており、スコープが広いと炎上しやすい
  • クライアントの要求水準が高いと炎上しやすい
  • クライアント側からの協力度合いが低いと炎上しやすい
  • マネージャーがうまくコントロールできないと確実に炎上する
  • スタッフのスキルが低い場合は炎上しやすい

となります。

お気づきかと思いますが、マネージャーがしっかり案件をコントロールできるかが炎上するか否かの分水嶺となります。

案件の論点設定やスタッフへの配慮、チーミング等の案件設計はマネージャーの最重要タスクです。 (案件の論点設定はパートナーの仕事でもありますが)

進捗管理という点では、部下の仕事の進捗と、いかにクライアントの期待値をコントロールできるかが重要な点です。

ここまで、炎上の原因を書いてきましたが、

次はスタッフの立場として、炎上案件に入りたくない場合の立ち回り方、 炎上案件に入ることの是非等を考えてみたいと思います。