Meta-Perception

主観至上主義の時代をメタに考える

何のために生きるのか?QOLとHackと幸福と。。。

人生の意味は何かという本質的な問い

私の今の職業は起業家である。 私自身は成り行きで生きていたら起業家になるようなアイデンティティの持ち主ではないのだが、様々な出来事の積み重なりでこのような職業になるに至った。

今でもなぜ起業家という、一般的にハイリスク・ハイリターンな職業に身をおいているのか考えることがよくある。 最初の仕事のコンサルタントでも、次の仕事のベンチャー投資会社でCorporate Strategyの仕事をしていた時もそうだった。 (私の所属していたベンチャー投資ファームはプリンシパルで長期的に投資先にハンズオンを行っており、自分たち自身の経営企画と投資先への経営企画支援の両文脈でCorporate Strategyというポジションだった)

それぞれの職業をやっている意味はあるのか?とよく自問していた。 すぐにそもそも「意味ってなんだろうか」という問いにぶち当たり長く答えが出なかった。 今でも出ていない。

というか一度整理できたつもりだったのに、今何がなんだかわからなくなってきている。

「なぜ自分がこの職業をやっているのか?」という問いは常に抱え続けるものなのだと思う。 随分といろいろな人とこの手の対話を繰り返しているのだが、私も含めて悩んでいる人がとても多いと感じた。

自分自身も今何がなんだかわからなくなってきたので、考えの整理をしたい。 せっかくなので、参考になった書籍の紹介とともに、私の考えと経験を書いておきたいと思う。

構造化してから書いているわけではなくつらつらと書いているので、読みにくいところはご容赦いただきたい。

多分思考が浅いところが散見されるだろうから、再構成してまた投稿するかもしれない。

今日のSummary

  • まず、「なぜ生きるのか?」「何のために生きるのか?」という問いから、QOLの最大化を幸福に生きるための目的変数として設定することから議論を開始した。
  • 次に、幸福=QOLはあくまで主観的な経験と感覚であり人それぞれ、かつ定量化できないものである。
  • その上で、人間の主観(Identity)はアルゴリズムに過ぎず、過去の反射的意思決定の総和である象が自動的に感情を湧き上がらせ、それを乗り手がもっともらしく解釈しているのであり、究極的な自由意志は存在しないのではないか。
  • しかしとはいえ、私たちが感じる感情や幸福感自体は、「主観的事実」なので、これを最大化するという立場で議論を展開してきた。
  • アルゴリズムは過去の総和であり現在に根ざすため、変化できるかは確率論となり、世の中は個人の変化よりもずっと早く変化しているので、意図的に変容し世の中に適応しないと取り残されて死ぬ確率が高まる。
  • 過去の総和であるアルゴリズムを変えるためには、外的なアプローチが今現在は難しいため、未来に向かって自分を変えようという緊張構造を作って圧力を自分に課し、自己批判的に内省するしかない。
  • 自分のアルゴリズムをHackし、SelfとFieldの折り合いをつけながら、過去の集大成であるIdentityを未来に向かって望ましいことを報酬と感じられるようにするのが現代の人生の命題ではないだろうか。

常に変化し続ける自己と社会を連続性で捉える

この問いに答えるためには2つの要素に定義を与える必要があると私は考える。

  • 要素A:「私は何者であり、何を望んでいるのか?」
  • 要素B: 「それはどのような社会的役割で実現でき、その本質はなにか?」

しかもこの2つの要素は時間の経過に伴って変質する。

「私」は時間の経過と経験と置かれている環境に伴って変化していく。
結婚したことによってもっと家庭への時間を求めるかもしれないし、もっと金銭的なリターンを重視するかもしれないし、垂直的に成長したことによってより高次のチャレンジを求めるかもしれない。
こういったその人自身がフォーカスを当てるテーマは人生の中で変化し続ける。

ちなみに日々痛感しているのだが、人間は思っているよりも自分の事を理解できていないので、これが非常に難しい。
現代社会は自由主義の文脈で記述するのが最も適切だと思うが、その自由主義の根幹にある自由意志が実は自分ではよくわからずコントロールできず、本質的に自由ではないとは何という皮肉だろうか。
このあたりは現代の知の巨人、ユヴァル・ノア・ハラリのホモデウスが非常に参考になる。
神聖視される(私もしている)自由意志とは何なのかに関しても今後議論してみたいと思う。

「職業」も非常に多くの要素によって変質する。
時代の流れによって求められる要素が変化するかもしれないし、会社のフェーズの変化に伴って変化するかもしれないし、自分自身の職業における解像度が上がったことによっても自分にとってのその職業の意味付けが変化するかもしれない。
コンサルタントと言う職業はそれが登場した時代から随分と変化しているが、私の在職中も目に見えてプロジェクトの内容やクライアントからの期待値が変化していたし、私自身がコンサルタントと言う職業への理解を深める中で、コンサルタントへの意味付けが変わり、最終的に離職している。

ちなみにここでは深く触れないが、人の成長に関しては成人発達理論という面白い学問があるので参照されたい。 こちらその大家の一人、ケン・ウィルバーの非常に興味深い書籍。 前職のベンチャー投資ファームではこの考えを援用し、起業家の精神発達を支援するという試みをかじっていたので多少の知見がある。

インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル

この要素Aと要素Bをより抽象化すると、自由主義の世界で生きる事はこんな数式で表せるのではないだろうか。

数学は小さい頃から私が最も苦手な学問の一つであり、誤りがあるかもしれないがその場合は是非指摘いただきたい。 苦手なことへの挑戦と、厳密に概念を整理して議論する上では数学的に整理するのがいいのだろうと思ったのでチャンレンジしてみた。

  • QOL = Self × Field
    • QOL: ある時点での主観的な満足度
    • Self: 私は何者か、何を成したいのか、どう生きるのか
    • Field: 自分が身をおいている場所、その場所の状況

つまり、「生きる意味を見出している」とか、「やりがいがある」とか、「何のために生きるのかの命題に対しての自分なりの考えがある」状態は、Selfの議論であり、QOLの構成要素の一つである。 しかし、人間は3Dの世の中に生きる社会動物であるので、当然Fieldとの兼ね合いの中でQOLは定義されるべきであろう。

Fieldを完全に捨象し、自分頭のの中の世界に閉じこもって入ればハッピーという人もいるかもしれないが。大半の人はそうではないだろう。

なお、QOLはあくまで主観的な満足度であるため、この2要素の掛け算の結果はその人自身の主観的な経験であることに留意されたい。 主観の意味するところは後で詳しく議論したい。

さて、この議論にはもう一つ必要な要素があるだろう。 それは認知能力である。

本末転倒かもしれないが、あくまで幸福・QOLが主観的経験であるということは、人の認知能力に制約を受けることを意味する。 Selfの理解レベルも、Fieldの理解レベルも、ともにこの制約を受けており、その中での主観的経験である。 式に組み込むとこうなる。

  • QOL = {Self × Field} × Perception

メタ認知能力がゼロであれば、FieldもSelfも認識できないため、論理的にQOLもゼロになる。 赤ちゃんはおそらく、認知能力が低いのでこれに近い感覚だろうか。

仮にSelfを深く理解していたとしても、Fieldの認知が浅ければ、環境の変化に適応できず、長期的にQOLを損なうだろう。 一方、Selfの認知が浅く、Filedばかりの認知を高めていっても、結局Selfの認知が浅いと物事への深い意味づけが難しく、浅いトレンドウォッチャーにしかなれない。(トレンドウォッチャーが幸福に感じられるならいいのかもしれないが。)

さらにSelfをより詳しく定義する。

  • Self = Identity × Skills × Health
    • Identity: 経験的に形作られた脳の回路のあり方、何に報酬を感じ、何に危機を感じるか。報酬系とも言う。この回路が好き嫌いや思考行動の癖といったアイデンティティらしきものを形作る。
    • Skills: 私ができること。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、Identityに紐付いて強化学習された思考と行動のアウトプットとしてSkillsが蓄積される。
    • Health: 体調、心身の健康。これが害されるとQOLは当然ながら落ちてしまう。

ちなみにSkillsについては、どのように人が学習するかに関する非常に参考になる書籍が有るので紹介しておく。 結局Identityにも紐づくのだが。

Learn Better ― 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

次にFieldについてももう少し考える。

  • Field = Theme × Role × Relationships
    • Theme: 抽象的なテーマ、社会課題と言ってもいいかもしれないし、社会の要請と言ってもいいかもしれない。社会全体が進んでいく方向にThemeが設定されているとそこに向かってリソースが流れ込んでいくし、重要なThemeとみなされていないところにはリソースが流れない。あなたがIdentityとフィットして取り組んでいるThemeが社会的にも重要なのであれば、あなたが生み出すアウトプットの価値が大きくなるだろう。
    • Role: 端的にいえば職業。具体的な社会における個人が保つ役割と言ってもいいだろう。家庭における自分の立ち位置もこれに入る。
    • Relationships: 自分を取り巻く集団の状態を含む他者との関係性。人間関係が精神的充足や仕事の生産性に与える影響は非常に大きい。他者からの評価もこれに入る。

ThemeをFieldに位置づけたのは、Themeに意味を見出すのはIdentityだが、Theme自体は実践する領域に属する(すなわちSelfの外側にある)と考えたからだ。 自分の中からThemeが出てくるというよりは、Identityと世界とのすり合わせの一側面がThemeであり、自分というよりは社会に根ざすと考える。 MissionやStatementと表現される自分自身の強い目的意識や計画は、SelfとFieldの掛け算として表現されるものと考えたほうが私はしっくり来る。 Slef(Identity)とField(Theme)。

人によって解釈は異なるだろうが、一旦この前提で進めたい。

ここまでの議論を整理する。

  • QOL = {Self (Identity × Skills × Health) × Field (Theme × Role × Relationships)} × Perception

更にこれに時間軸の概念が加わる。 今日のSelfと今日のFieldがしっくり来ていても明日にもそれがしっくり来ることは誰も保証してくれないし、長期で見れば確実に変質する。 望むと望まずと、絶え間ない変化こそがこの世界の本質だからである。

この変化を前提とすると、ボラティリティという概念が登場する。 何がどのように変化するかは確率の問題であり、誰にも知ることはできない。未来は予測できない複雑なものであり、その複雑性は加速度的に高まっている。 不確実性と複雑性が支配するこの世界への深いインサイトはタレブの主張が非常に参考になる。

反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

VUCAの時代を生きる上で最も重要なことは身銭を切る=リスクを取る事である。 リスクを取ると自分の身をボラティリティに晒すことになるため、覚悟が必要であるが、そうした人にしか生き抜けない世の中になる。 というのがざっくり彼の主張だと私は考えている。 この覚悟を固めるためにSelfの理解が重要であり、そのあたりはエフェクチュエーションという起業論で論じられており、組み合わせて議論すると解像度が上がる。 これもいずれ論じたいと思う。

エフェクチュエーション (【碩学舎/碩学叢書】)

話をQOLに戻そう。あるt時点におけるQOLtは以下のように表せる。 t時点におけるSelfの認知レベルと、Fieldの認知レベルの掛け算で、QOLtは定義できる。

  • QOLt = {Self (Identity × Skills × Health) × Field (Theme × Role × Relationships)} × Perceptiont

一つの考え方として、この総和を人生におけるQOLと考える事ができるだろう。 数式で書くなら∑を使ってやればいいのだけど、どうもはてぶではうまくエディターに打ち込んでも表示されないので割愛する。

この定義に従うと、最適な人生戦略はこの値の最大化ということになる。 (QOLの最大化こそが個人が人生を通じて求める至高の目的であるという前提のもと) 「生きること」はこの方程式にもっともらしい落とし所を見つけ続ける一連のプロセスだとでも言えるだろうか。

なお、ここではQOLをt時点における構成要素に分解し、それぞれの要素を定義する事を通じてQOLのモデル化を試みている。

他の考え方として最適時間配分の議論をすることもできるだろう。 時間は有限かつ平等のリソースなので、それを所与として最適な時間配分は理論上モデル化しうる。(私の学生時代の論文は人的資本の最適蓄積を検討する時間配分モデルがテーマであった) 時間配分モデルのほうがより意思決定を論じる上ではやりやすいかもしれないが、それでは時間の投資からのリターンの総和=QOLを前提とし、QOL自体の議論がしにくいので個々では割愛する。

ここでは要素定義を通じたQOLモデルに関して議論したいと思う。 議論を戻そう。ここでは、

  • 高いQOLを実現するには、
  • 心身の健康が担保された状態を前提として、
  • 自分の報酬系(Identity)を知り、何をしているときが幸せで、何を求めているのかを理解し、
  • それにフィットした取り組むべきThemeを設定し、
  • Themeに取り組めている、自分は幸せだ、やりがいがある、意味有るチャレンジができていると感じられるRoleを持ち、
  • そのRoleにつけるだけのSkillsをもち、更にそのSkillsを実践を経験を通じて強化し続けている(Themeが重要で長期的なものであるほど、そのSkillsの価値が持続する。Skillsについてはまた別途詳細に議論したい)
  • このThemeの追求とRoleの遂行を信頼できる仲間やチーム、組織、集団、社会(Relationships)の中で行っている(なお、Relationshipsをどの程度の広さと深さで定義するかはその人のIdentityの状況に依存する

といったことが言えそうである。 更にこれが∑QOLt全体の最大化問題となるため、t時点のQOL最大化を諦めても長期的に最大化するという戦略も可能である。 例えば、辛いかもしれないが苦労を重ね、将来に渡って持続するSkillsを取得し続けたり、大きな社会課題であるThemeを追いかけたり。

逆にIdentityに引っ張られて有る短期的な時間軸にフォーカスを当ててQOLを最大化したがために長期的に損をする事もありえる。 短期的に楽しむための消費行動に明け暮れ、Skillsが蓄積されなかったたり、Relationshipsから阻害されたりして長期的に損をするといったような。

なお、これらはすべて、あくまで主観的に定義される論点であることに留意されたい。 Themeを持って挑戦している方が、社会とのつながりがあり、挑戦をし続けて新しい刺激を得ており、自己実現に近づいているので、無為に同じ毎日を繰り返す人よりも幸福度が高いとは必ずしも言えない。

なぜなら幸福は定量化できずあくまで主観的な経験であるためだ。 何を幸福と感じるか=報酬とみなすかはIdentityに依存する問題であり、Identityはこれまでのその人の意識的無意識的意思決定の総和として脳に構築された回路=アルゴリズムである。

そもそもThemeに重きを置かない報酬系の人は、Themeを持ちましょうと言ったところで、t時点では効用を感じないし、QOLを向上させない。 もちろん中長期的にIdentityが変化し、Themeの重要性が腹落ちすれば、Themeを持つことによるQOLの向上がもたらされる場合もある。 Themeはそれ自体に取り組むこと自体が長期的なプロセスであるため、短期的な報酬系の人はそれによる効用を得ることは難しい。

この議論自体自由主義の文脈が非常に強いが今回はそこまでメタ認知して相対化せず、この枠組で議論を進めようと思う。

人間のIdentityを所与と考えず、時間軸を入れて変容するダイナミックな存在と見る事が大切だと私は考える。

人間はHackできるアルゴリズムであり、自由意志はない(かもしれない)

実はこの議論の背景には、幸福を定義する最大の要因はIdentityにあるという暗黙の前提が置かれている。 次はこれについて議論したい。

先程述べたように、Identityは自分自身の意識的無意識的な報酬系アルゴリズムである。 あらゆる要素の相互作用のある脳の状態にインプットを投げ込むとアルゴリズムが計算して答えを返す。

あなたは長くハードなプロジェクトのさなかにいるプロジェクトマネージャーだ。今日も仕事が長く終電での帰宅となってしまった。無意識に「私は今疲れている。ああ、なのに経費の削減の煽りを受けてタクシーを使えず電車で帰らないといけない。最悪だ。」と思っている時に、部下から電話が。明日の朝イチの会議の資料に計算ミスが合ったらしく部下がそれに気づいて修正版を送り、報告で電話してきたのだった。すでにクライアントには明日の会議の資料を送ってしまっていた。

おそらくあなたはこんなふうに部下に思ってしまう(もしかしたら言ってしまう)のではないだろうか。

なんでちゃんと確認しなかったんだ!数字にはとことんこだわれと普段から言っているだろう!!何回目だ!この間のプロジェクトでも同じようなミスをしていただろう!

言おうが言うまいが、このように感じたことは、そのあなたにとっての主観的事実である。

  • 疲れているというHealth状態
  • プロジェクマネージャーというRoleでさらされるプレッシャー
  • 成功しなければ昇進できないという焦り(昇進したい=昇進こそ求めるものというIdentity)
  • 何度も同じミスをする部下というRelationships
  • 自分はきちんと指導しているというマネジメントSkillsへの理解
  • クライアントに訂正メッセージを出すと評価に響くという恐れ(RelationshipsとIdentity)
  • 誤りを認めることへの居心地の悪さ(Identity)

等といった状況がセットされた状態で、部下の数値の計算ミスという情報がインプットされた時、あなたの脳は自動的に怒りの感情が沸き起こったと言える。

この時、怒りの感情に対してどう行動するかは意思決定できる。 怒っても仕方がないと思うか、次うまくやるための建設的話し合いをしようと思うか、怒るか。あなたの自由だ。自由意志。

しかし「怒る」という感情自体には、自由意志の入り込む余地はない。 感情は湧き上がる主観的な感覚であり、怒らないようにすることはできない。 感情は自由意志で選べない、無意識な脳のシナプスの発火パターンに依存した生理的な反射だ。反射は一瞬で起きるため、自由意志の入り込む余地はない。なぜなら自動的にインプットに対してアウトプットが返ってくるからだ。

つまり人間は、ただ湧き上がる感情に従って行動しているアルゴリズムなのである。

私は統計やコンピューターサイエンスの専門家ではないので正確ではないかもしれないが、一応理解を書いておくとアルゴリズムとは、インプットに対して計算を実施し、アウトプットを返す一連のプロセスだ。 ここに自由意志が入り込む余地はない。 この怒るという一連の計算プロセスは、まさにアルゴリズムだと言えるのではないだろうか?

このあたりの議論はユヴァル・ノア・ハラリのホモデウスがまたしても非常に参考になる。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

このあたりの考え方は、道徳心理学と呼ばれる心理学の学問を援用するとより解像度を高められるだろうか。 ダニエル・カーネマンに代表される認知心理学者も同じようなことを言っているが、たまたま私が読んで衝撃を受けたのがジョナサン・ハイトの道徳心理学だったのでそちらをベースに議論したい。

人間の心の中には象と乗り手がいる。 象が無意識、感情、反射、カーネマン風に言えばシステム1、ハラリ風に言えば経験する自己である。すなわち、自分の意志ではコントロールできない。 なにかの状況に面した時、象は自動的に好むか好まないかを判断する。

乗り手は意識、思考であり、カーネマン風に言えばシステム2、ハラリ風に言えば物語る自己である。普段自分が思考していると思ったときは乗り手が活動している。これは自分の意志でコントロールしているように見える。 しかし、象のほうがずっと大きく力があるため、象が向いた方向を正当化する事がこの乗り手の主な仕事である。 「嫌いだ」と象が判断したら、乗り手はその理由を見つけるまで思考する。そして、理由を見つけたら満足する。あとはどれだけロジックをぶつけても考えを変えることは殆どない。

ロジックでは人は動かないという格言は真理だ。 象はロジックなど聞いておらず、状況を無意識的に計算し、すでに感情という形で判断を下しており、ロジカルに議論できる乗り手は象の従僕なのだから。 象自体の考えを変えるような体験がない限りは、人の思考と行動の癖は変わらず強化学習され続ける。

「自分は幸福である」「QOLが高い」と思っているとしても、それはこの象がそう感じ、乗り手が自分についての物語りを語る事によって補強しているにすぎない。

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

ここまでの議論を一度整理する。

  • 感情は状況を無意識に処理したt時点の脳の状態にインプットが入った際に、アルゴリズムの計算し、アウトプットした結果自動的に湧き上がるもの
  • 「幸福である」「QOL」も感情なのだとしたら、それ自体もアルゴリズムによる自動計算の結果であるということになる

くどいようだが繰り返すと自由主義の思想と異なり、本質的な自由意志は存在しない(可能性が高い)ため、人間は自動的に状況に反射しているアルゴリズムであると考えられる。 すると感情はすべてアルゴリズムの計算結果であり、心などというものが存在しないことになる。

誰だって不幸にはなりたくない。(もしそんな人がいたら…ここでは議論の脇においておこう) しかし自由意志が入り込む余地がないとすると、幸福か不幸かは、究極的には確率の問題になってしまうのではないか?

しかし私たちは、感情は主観的経験であり不幸や幸福は体験できるものだと直感的に感じる。

この主観主義の自由主義の時代時代においては、結局は自分たちの主観的幸福をどのように求めていくか?という問いが重要なのだろう。 客観的な降伏などないし、誰かが与えてくれるものでもない。 自分のアルゴリズムが幸福であると思い続けられている事こそが主観的に幸福な状態だと考えることができる。

人間はアルゴリズムという前提に立っても、それでも主観的経験と感覚は(少なくとも私という主観的存在の中では)存在するため、せっかく生きるなら幸福な主観的経験と感覚とともに人生を送るのだという立場で議論を進めたいと思う。

自分自身をよく知り、Hackし、幸福になれるか

これが鍵となる問いではないだろうか。

人間はアルゴリズムであり、アルゴリズムは一定の法則性を持つためHackできる。 人間が意識的に知覚できるのは乗り手・物語る自己だけである。

意識的に振る舞える思考と行動を通じて無意識・象・経験する自己に働きかけ、Hackし、脳の回路を意識的に書き換えて行くプロセスこそが、自律的に幸福な人生を歩んでいくために重要なのだと思う。 そうしないと全ては確率だ。

先程、QOLtを数式で概念整理した。 一度ここに立ち返ろう。

  • QOLt = {Self (Identity × Skills × Health) × Field (Theme × Role × Relationships)} × Perception

QOLの議論で最後に述べたように結局はこれらはすべてIdentityの関数でもあるため、何に価値を見出すかはIdentityによる意味付けに依存する部分が大きい。 このIdentityを理解し、Hackできない限りは確率だ。

アルゴリズム議論で整理していたのは、Identityにはいくつかのレベルが有るということである。 無意識の領域と意識の領域である。ここではハイトを借りて無意識=象、意識=乗り手と呼ぼう。

象自体に直接アプローチすることはできない。 なぜなら象はアルゴリズムだからであり、状況に対して決まった反射をしているからだ。 できることは、象の反射の仕方を定義するアルゴリズム=脳の回路を書き換えていくことである。

脳の回路は過去の意思決定の総和として、自分の報酬と危機回避のメカニズムである。 何を好み何を避けるかは、その人の歴史をもとにして作られている。 過去と現在がこのアルゴリズムを形作っている。

従って、脳の回路を書き換えるプロセスを進めていくためには、今と過去にフォーカスを当てるのではなく、未来にフォーカスを当てることが必要になる。 アルゴリズム自体が過去と現在に根ざすため、そこにフォーカスしては強化学習しかされず、変化できるかはまたしても確率だ。

変化するべきなのかは依然として論点として残る。この点について議論を深めたい。 脳の回路は書き換えず、ひたすらに強化学習し続けることでも幸福になれるのではないか?そうかもしれない。 だが、Selfを一定の状態に固定したとしても、Fieldは容赦なく変化し続ける。 変化し続ける環境においてSelfが変化しないとした場合、環境に適応できず死ぬリスクが高まる。

例えば、職人気質に自分の腕だけを信用し、他のものをすべて拒絶する生き方をしていたとしても、その腕が社会的に価値を持つ(Theme、Roleに需要がある)うちは生存できる。 しかし環境が変化し、その腕に何の社会的価値がなくなった場合、その人は変化なくして生き残ることは難しい。 さらに、年をとっているほど有意に脳機能は退化し、学習する能力は損なわれるため、ある程度年をとった段階から変化することも難しいだろう。 このようにして長期的には、変化しないこの職人は一気にQOLを損なう可能性が高い。

また、社会的価値は共同体的主観によって定義される。 一人が価値を持つと思ってもそれは共同体にとっての価値にはなりえない。 価値は主観的で相対的な概念なので客観的に絶対的な価値は存在し得ない。 すると、皆が価値があると信じているものに価値が宿る事になり、これ自体は個人のコントロールできるものではない。

能動的に変化しようとしない限り、生き残れるかもしれないが結局は確率であり運頼みだ。意図的に幸福で居られる確率を高めることはできない。 一番最初に引くくじがせいぜい長期的に幸福をもたらすと信じるしかない。 しかし、くじを引いた状況と10年後は確実に異なる環境であるため、くじを引いた時点の価値は長期的に続くかは不明だ。

話がそれたが、QOLを持続的に維持するためにはFieldの変化に対応するためにSelfも変化させ続ける必要があると一旦結論づけよう。

余談だが、Fieldの変化のスピードは加速度的に増しており、Selfの変化を圧倒するスピードで地殻変動が起こっている。 この遅い個人と早い社会の変化の関係を実に見事に整理しているこちらの記事は非常に参考になった

Hackは静的ではなく動的なプロセスとして理解するべきである

Hackingというと、コンピューターのメタファーではハッカーがコードを送信し攻撃を完了させるものであり、サイバー空間で一瞬で起こる静的なプロセスのイメージがあるかもしれない。

しかし人間の脳は有機的な器官であり、外的なアプローチによって瞬時にその回路を変える事はできない。 将来的には生命科学の発展によって、脳も思うがままに書き換えることができるようになるかもしれないが、今のところは無理だ。

そうすると、外的なアプローチが難しいならば、脳へのアプローチは五感に代表される人間の感覚器官からのインプットに頼るしかないだろう。 ここで言うインプットは広義に情報のインプットのことであり、勉強するという意味ではないことに留意されたい。 実際に行動し、そこで感じたことやフィードバックもインプットである。

従って、脳の回路を書き換えるというのは静的なプロセスではなく、動的なプロセスである。 ある時からカチッと切り替わるのではなく、徐々に変化していくという連続性を理解する必要がある。 完成形をイメージし、そこにすぐに到達できるという静的なイメージを持って取り組むと、すぐにギャップに苦しんで投げ出してしまうだろう。

未来に向かってのみの自己批判的な内省を通じてのみ、意図的な変容が可能であり、それが幸福に向けて自己をHackすることにつながる

先程、アルゴリズムは過去と現在に根ざすため、それに従っているうちは確率論でしか変容できない、さらにSelfの変容よりもFieldの変容のほうがずっと早いため、意図的に変容していかない限りFieldにおいていかれて死ぬ確率が高いと述べた。(ここで言う死ぬとは、QOLが低い状態で生きることも含む、必ずしも生物的な死のみではない)

そして意図的に変容していくためには、未来に焦点を当てて情報をインプットし、Identity(報酬系、あなたは何に対して報酬を感じ、危機回避したくなるのかに関する過去の意思決定の総和であり、無意識に判断を下す象)に働きかける必要がある。

脳の回路は、情報がインプットされた時に無意識下で情動的反射を引き起こし、それが好ましいか避けるべきかを判断する。これは過去の意思決定の総和を忠実に反映している。 直感というやつだ。 自分の意識上では処理しきれない情報もここで処理されているため、直感に従うと正しい気持ちになりやすい。 というかそもそも意識である乗り手は象に従うのが常であるから、直感に従うのはいつも正しいのだ。(少なくともその場で主観的には。) より深く強化学習されている信念ほど、ブラインドスポットとなっていて、変えることが難しい。

先程のプロジェクマネージャーになりきって考えよう。 あなたは昇進したいと考えている。その背景には、人から認められること、評価されることが報酬になるような脳の回路が潜んでいるのだろう。 人から評価されるような情報には報酬系が働くので、自然にやる。例えば自分の成功を誇示したり、権力者をいち早く見抜く能力や組織の力学に敏感であったりするかもしれない。(この組織の力学に敏感であるのはあなたのIdentityから習得した一種のスキルでもある。)

これを変えようとするとどうするべきだろうか? そもそも変える必要はあるのか? この問いをIdentityに対してすると、過去これでうまく言ってきたんだし大丈夫だと言う答えが帰ってくるだろう。

変える必要性を認識するのは、緊張構造が必要だ。 すなわち、何かを成し遂げるためには自分を変える必要があるという圧力をかける必要がある。

緊張構造は非常に単純な原理だが強力だ。詳しく知りたい人はアクションラーニング系の本を読むといいだろう。

自意識(アイデンティティ)と創り出す思考

多くの人はこれがRoleかRelationshipsから与えられることが多い。 マネージャーに昇進したのでそのRoleを遂行するには自分の人への接し方を変える必要が発生する。とか、恋人や配偶者と喧嘩し、これを直さないと別れるといった圧力が働く。等。 これらはあくまで確率論であり、そういう状況に面しない限り変容しないし、自分の手の内にはサイコロはない。あくまでFieldから与えられるかどうかだ。

これを意図的に行う、つまりHackするには、意図的に自分に進化圧をかける緊張構造を生み出す必要がある。

「今自分が行ったこと、昨日行ったことは、将来自分がたどり着きたいところに照らした時に、正しかったのだろうか?」

そう自問し、批判的に内省する必要がある。それによって初めて過去と現在のアルゴリズムに支配された生き方から少しだけ脱出することができる。 これは未来に対して思考するということである。過去ではなく。

望ましい未来を作ろうという思考と行動様式が、結果的にSelfに変容を促し、それによってFieldの変化に対応することを可能にし、QOLを高いレベルで維持し、持続的に幸福に生きる事に不可欠なように思える。

SelfとFieldの織り合わせを通じ、何かを成し遂げている、意味が有る人生を送れていると感じられるように自己を変容させ続けるという、これまでの人類が誰も直面したことがない非常に難しい生き方をしなければならない。 これをどう捉えるかは一人ひとりにかかっている。

が、依然として自由意志などなく結局はアルゴリズムなので幸福など主観的な幻想に過ぎないという主張への反論は何もできていないのだが。 これは自由主義の文脈でしか成立し得ないし科学的な根拠はなにもないのだから。

それでも経験と感覚ができ、感情を持ち、地球史上初めてこれだけの進歩を実現した人間という種である以上、何か前向きな形で世の中を変えられると信じたいものである。

本当はもっと色々と思考がめぐり考えていることがあるが、一旦ここまでにしたい。 どのようにHackするのかに関する考察はまた次回に譲ろう。