Meta-Perception

主観至上主義の時代をメタに考える

起業家とは何なのか

たくさんのアクシデントが重なり、私自身は起業家という生き方を選択したわけであるが、この生き方が何なのだろうか。

好きなように好きなことをやろうとしているという意味では、ファームに居た時ともあまり感覚的には変わらないが、組織の決まりごとや柵が少ないのは大きな違いだろうか。

QOLに関する議論でも書いたのだが、QOLを高める、生きるとは、Self(自分自身)の理解度とField(実践領域、世の中)の掛け合わせなので、実践と思考を通じてこの2つの理解度を高め、落とし所を見つけ続けるプロセスなのであろうと思っている。

私にとってのFieldは、Theme:教育・人材、Role:起業家・経営者、Relationships:私の会社、投資家、取引先…etcということになるだろうか。

今回はFieldの解像度を上げたいと思い、Roleについて書こうと思う。

新結合を社会に織り込む

この複雑性と不確実性に満ちた世界において、唯一確かなことがあるとしたら、確かなことなど存在しないという事ではないだろうか。 普遍的、恒常的なものなど存在せず、あらゆるものは変化し続ける。

熱力学におけるエントロピー増大の法則は、あらゆるところでやっぱり当てはまると思われる。 あらゆるものは変化し続ける性質を備えており、最終的には秩序だった状態から無秩序になっていく性質を備えている。

何であれ、現状を維持しようとするとそれなりの力を要求する。 維持しようとするものが複雑で長大なものであれば有るほど、なおさらである。

この資本主義、自由主義現代社会のシステムも、放っておくと崩壊に向かっていく。 だから人類は維持するために膨大なエネルギーを投下し続けているわけである。

しかし複雑怪奇なこのシステムを維持しようとしても、どうしても大きな変曲点が出現する。 いわゆるブラックスワンというやつだ。

更にスケーリングの問題があるため、システムの構成要素が増えるほど乗数的に不確実性が増していき、ブラック・スワンが出現する確率が高まる。 そして、変化を押し止める事は長期的には不可能であり、最終的には徒労に終わる。

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

重厚長大で複雑怪奇なシステムを維持し続けるコストが膨大であるならば、合理的には変化と無秩序と不確実性を前提として、タレブの言う反脆さを持った社会が、長期的に人類の生存と幸福を実現する確率が高まるのではないだろうか。

反脆さをもち、不確実性を活用し、より良い、社会が豊かになる新しい秩序を作り出し続ける以外に、豊かな社会を維持し幸福な人生を確率高く歩む方法は存在しないのではないか。 要は永遠にβ版、常にアップデートし続けるということだ。 万物流転。

つまり、不確実性と変化を前提として世の中を見るべきだということだ。

何を、どのように変化させるのか

維持ではなく変化を前提として考えた際、何をどのように変化させていく事が良いのかというイシューが非常に重要になる。

既得権益の維持ではなくより平等で公平な新しい枠組みを作る、社会の変化に応じて重要度が増すようなサービス、プロダクトを創造して人々の思考行動様式を変えていく、といった話だ。

何を持って善とするかは、QOLに関する議論で触れたが、非常に難しい。 人間の幸福を善とすれば、突き詰めればアルゴリズムに過ぎない人間を外的にHackし、常に脳が幸福に感じる状態を維持するのが膳なのだろうか?それは幸福なのか?幸福とは何なのか? そもそも、テクノロジーが人間をHackできるなら、人間至上主義の現代のイデオロギーが前提から崩壊するのではないか? 誰にも答える事はできないし、普遍的な答えはないのかもしれない。

何がうまくいくのか、何が社会を前進させるのか(何が善なのか)、何が悪影響をもたらすのかは究極的に後知恵でしか判断できず、やってみるまでわからない。 誰かが身銭を切ってリスクを犯してチャレンジし、世に問うまでわからない。

しかも問い方や時代背景によって同じものでも全く違う帰結をもたらすだろう。 聖書の時代にコペルニクスは受け入れられなかった。 今の時代では例えばバイオテックによるデザイナーベビーは倫理的には受け入れられては居ないが将来はわからない。

しかしこの不確実性の高い行動を誰かが起こしていかないと社会が前進することはなく、どんどん無秩序なバッドシナリオに向かって突き進んでいく事になるだろうか。 環境破壊や搾取され続ける労働者、短期的に私腹を肥やし続けるが将来への負債を溜め込んでいく既得権益の享受者、その構造的暴力の犠牲者の増加といった具合に。

変化は辺境のR&Dから起こる

善の議論はおいておき、放っておくと社会というシステムは崩壊していくとしよう。 これは少なくとも短期的には多数の犠牲者を出す。

システム体制側の人間たちは、システムを維持し続けるインセンティブが強く働く。 そうするとシステムの崩壊を押し留めようとして活動する事になり、不確実性を排除しようとして行動する。 するとタレブが言うように、システムは逆説的に脆くなり、ブラック・スワンが起こった時に多大な犠牲を出し、下手をすると社会が退化する。

その文脈で考えると、政治家や官僚や大企業は今の既得権益を維持する方向にバイアスが傾きやすく、変化を起こす役割としては不足しすぎる。 既得権益を享受しやすいその次代のエリート階層から革命が起こったケースは歴史的にも少ないのではないだろうか。というかないのでは?

本当の変化をもたらす活動(ここではR&Dと呼ぼう)は常に辺境で発生すると考えられる。

もしかすると、起業家は社会全体の中のR&D機能を担っていると言えるのではないか。 誰もが見落とすスペースを見つけて価値を生み出す、これまでになかったプロダクトで生活を変える、そのプロダクトの介在によってポジティブな変化を人生にもたらす事が、起業家が起こすイノベーションである。

R&Dなくして発展はありえないが、大半のR&Dの種たちは死んでいく定めにある。 自分より大きなコミュニティ、社会のために身銭を切って新しい価値を生み出す事に取り組む事こそがまさに「起業家」に求められる役割ではないだろうか。

身銭を切れ――「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質

R&Dによって生み出されたイノベーション=新結合は、社会に実装されて初めて実際的な意味を持つ。 頭の中に有るだけならそれは(本人以外に)何の意味も持たない。

概念を打ち出し、それを発表するだけでは、社会にそれが織り込まれない。 それでは変化を起こせない。

不確実性とシステム変容を前提とし、新結合を発想し、思考と行動すなわち実践を通じて社会システムに折り込み、前向きに変化を起こしていくのが起業家の役割ではないか。